~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
始皇帝の帰還 (五)
以後、余人を身辺に近づけなくなった。咸陽かんようの宮殿には殿舎が二百七十むねもある。その宏大な宮廷のどこに彼がいるかも、余人に知らせないようにした。ただ宦官かんがん趙高ちょうこうだけは例外であった。例外を設けておかねば皇帝としての仕事が出来なかった。趙高が府中から政治に関する書類を宮中の彼のもとに運んで来る。決裁をうためであった。決裁が済むとそれらの書類をを政府である府中まで運んだ。府中を主宰するのは丞相じょうしょうである。高名な李斯りしがその職にある。始皇帝が大陸を統一し得たのは李斯によるところが大きかった。秦帝国が成立してから、この最大の功臣は、その息子たちがすべて始皇帝の娘たちを嫁として貰い、李斯の娘たちがすべて皇族に縁づくというほどの寵遇ちょうぐうをうけた。始皇帝の大土木事業、文字や度量衡の統一、あるいは辺境への外征事業も、すべてこの李斯によって立案され、実施された。そのような老宰相でさえ。自分の君主が宮殿のどこにいるかを教えてもらえなかった。それほどの始皇帝の雲隠れ生活は徹底していた。そうすることが彼らしい科学的態度であったといっていい。

趙高だけが例外とされたのは、
「宦官は人ではない」
という理由に るものであった。宦官はいうまでもなく男根を切り取られている。歴朝の宮廷が、宮廷の奥における王者のいかなる私生活の秘密も宦官という男たちの耳目じもくさらされて来たというのは、彼らが人ではないという理由によった。秦の宮廷は史上最大のものだけにむろん何千の宮女がおり、その世話をする何百の宦官がいた。そのうち趙高が履歴も古く、とびぬけて利口で機転がきくために、始皇帝はこれを寵用していた。
── 趙高は、影のようだ。
と、宮廷の中の人々から言われた。趙高はひそひそと歩く。とくべつな呼吸術でも心得ているのか、始皇帝の身辺で身のまわりのことをしていても、人間がそこにいるというわずらわしさを始皇帝に感じさせず、またゆか に敷き詰められた黒いせん の上を趙高が歩いていても足音もしなかった。気配けはいすら立てなかった。
皇帝は、毎夜、ねやに女を必要とした。夜ごと、趙高が皇帝を女たちの部屋へ案内してゆく。皇帝は毎夜のようにこうする女を変えた。趙高の仕事は、それにかかわるすべてだった。皇帝が幸する女が匕首あいくちや毒薬などを持っていないかということをはだかにして調べ、また皇帝が女を幸している最中ににわかにしいするようなことがないように監視した。このため皇帝が女の部屋にいる間じゅう、趙高もまたその部屋に影のようにはべっていた。こういうこともあって、
(趙高は影であて、人ではない)
と始皇帝は思うようになっていた、当然、神仙もまたこのを人とは認めないはずであり、舞い降りて来るのになんの障りもあるまいと思った。

しかし始皇帝の認識では趙高は影であっても、趙高自身にとっては自分自身が人間であることに変わりがない。
(わしは、人間なのだ)
と、趙高はずっしりと思っている。
(わしほど偉い者はこの世にいないのではないか)
と思っていた。
単なる人間にしては趙高はものを知りすぎていたし、それもこれも地上で知るべからざることばかりを彼は知っていた。余人にとって、歴史上最初に出現した皇帝と言うのは新奇でかつ地上絶対の権力であったも、皇帝の私生活の面倒を見るこの宦官にとってはただの初老の男に過ぎなかった。それも並みはずれた荒淫の人であり、その荒淫をつづけるために衰えを怖れ、自分だけが死をまぬがれたいと妄想もうそうしている滑稽こっけいな男にすぎず、またそれ以外の皇帝を想像する必要は宦官と言う職務からいって少しもなかった。
趙高は、始皇帝と共に、宮廷の中を日夜転々とした。始皇帝の用便の世話をし、夕刻になるとその体を湯でぬぐい、食事を献じ、寝床をととのえ、そのそばで自分もまどろむうちに、
(この男のいのちは、自分だけが握っている)
・・・ちょうど掌の中に黄色くやわらかなひな・・鳥のいのち・・・でも握っているような感覚で、そう思うようになった。強く握りしめさえすれば、ひな・・は死んでしまう。殺そうと思えばいつでも殺せる、というえたいの知れぬたかぶりが趙高の身の内で成長しはじめた。ただし殺せば趙高は職と命を失うだけで何の利益もない。とはいえ皇帝の命の殺生与奪の機微きびを自分ひとりがひそかに握っているという実感は、一種奇妙な権力意識を急速に彼の中で育てた。
趙高の中のしの意識が化け物のように巨大になってゆくのに、時間はかからなかった。
始皇帝と丞相の李斯のあいだを彼は書類を持って往復している。始皇帝の言葉も、趙高が代弁した。李斯にとって始皇帝が見えざる君主になってしまった以上、老いて脂肪がひざもとまで垂れ下がっている宦官の趙高の口から出る言葉が、始皇帝の勅諚ちょくじょうであるとして信ずるしかなかった。趙高は、始皇帝の意志を李斯に伝える時は、
「勅諚でござる」
と言って変に威厳を示し、李斯に対してかしこまることを暗に要求した。
この芝居は李斯にとってはやりきれないことだったが、しかし趙高の機嫌を損じたりすると、趙高が始皇帝のもとに行ってどういう告げ口をするかわからなかった。絶対権力は始皇帝にみにある。法家ほうか主義とはいえ始皇帝だけは法から超越する存在であり、その言葉自体が法であった。始皇帝が讒言ざんげんを信ずれば李斯の首などはその日のうちに飛んでしまうのである。
李斯は、ついに趙高の前で、そこに始皇帝がいるかのように激しく畏怖いふし、恐懼きょうくていを示すようになった。
(李斯さえ自分を怖れている)
と、趙高は思った。事実、李斯は趙高の0中に何を仕出かすかわからないあやうさを感ずるようになっていたし、趙高の機嫌をとっておかねば自分の命があぶないと思うようになっていた。
ただし趙高の李斯への言葉づかいは、従前どおり慇懃いんぎんであった。宦官は本来奴隷どれい身分であったために、秦の宮廷でも身分としては犬か猫のようにいやしい。李斯のような秦帝国の官僚の総帥に対しては鄭重ていちょうたらざるを得なかったのだが、言動のはしばしには凄味すごみを利かせるようになった。趙高は李斯に対している場合、ときに自分自身が皇帝であると錯覚する瞬間さえ持った。李斯の場合、この醜い去勢者に対している時は片時も油断できないために、趙高を疑似ぎじ皇帝として謁している気分を持ち続けた。
2019/11/09
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