~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
秦 の 章 邯 将 軍 (五)
この関中をめざしつつある楚の別働軍の総帥が劉邦りゅうほうという男であることを趙高は知っていた。
(劉邦という男に、密使を出さねば)
あらかじめにその取引をしておかねば、手違いがおこる。後日のことになるが、趙高はその計画どおり、その密使を劉邦のもとに送り、右につき密約を取り付けるのである。
(それまでは、胡亥の首はわしの手飼いにして生かしておく)
と、腹の中で思いつつ、現実の胡亥に対しては、いずれ天下は平らかになりましょう、しかし前線の将軍の失敗はすぐさまお叱りにならねば、彼らの気が緩み負けを重ねることになりましょう、と言った。
「すぐさまか」
と、趙高によって生かされている首が言った。
「譴責のための勅使は、この場からおたせになるのが秦の法でございます」
二世皇帝はその場で左右の者を見まわし、即座に勅使を決め、趙高のいうよいにその場から出発させた。
趙高はその翌日、前線から章邯の参謀格の長史欣が咸陽に帰っていることを知った。欣は数日前に帰ったという。さらには拝謁を得るために司馬門の前にしつこく立ったり、しきりに自分に会おうとして人を密訪してまわっているという。
(胡亥に会わせれば、すべてが水の泡になる)
趙高は汗が出る思いがした。
一方、欣は伝手をみつける工作をあきらめた。二、三、趙高に阿諛あゆしているといわれる人物を見つけたのだが、彼らでさえ、欣の依頼に尻込みし、ことわった。
(それほど、趙高は恐れられているのか)
少しずつ欣の目に物事が見えて来た。趙高が類のない秦の法律通であったということが、この事態の一要素なのである。秦法は牛の毛のように細則が多く、たとえば官吏が私的に他の官吏を紹介してはいけないといったふうにころまであり、趙高の気分次第では伝手の者に対しそれを適用して処刑しかねない。ついでながら、これら、欣の密訪を受けた連中はすべて趙高に報告しており、このため趙高は欣についてのあらましを知ったのである。趙高は今は、皇帝とその女たちの身辺の世話をする宦官職ではない。すでに堂々たるけいであった。
九卿のうちの郎中令ろうちゅうれいの職にあり、この職は宮廷の一切を取り仕切り、諸門の警備と開閉をつかさどる。司馬門に立って郎中令としての趙高の名を言いつづければなんとかなるのではないか、と教えてくれた。永く属官をつとめてきた欣も、かつての職場ながら、別国に来た観があった。 
ともかくも、欣は司馬門で懇願した。こんどは、門内から返事があった。
「車の中で御沙汰を待たれよ」
という。
「それは、郎中令の趙高どののお言葉であるか」
「左様、郎中令までお名前は通してあります。じきじきのお言葉にひとしい」
と衛士の責任者がいうので、欣は待った。
それでも、三日、待った。
そのうち、いつの間にか衛士の責任者が交代し、別人になっていた。見るからに凶悍きょうかんそうな顔つきのその男が、いきなり欣の手をとり、車外に引きずり出し、汝はここで何をしているか、とどなった。
欣はおどろき、事情を言ったが、そういう話は聞いていない、と言う、欣は、身を翻した。とっさに事態が呑み込めたのである。
(趙高が、おれを法にひっかけようとしている)
車に飛び乗るなり、馭者ぎょしゃに、走れ、とどなった。自宅にも帰らず、そのまま咸陽の町を突っ切ると、はるかに函谷関をめざした。章邯の本営まで帰るのである。途中、ふと気づき、道を変えた。これが命拾いのもとになった。趙高の追手がすぐそのあとを慕ったのだが、彼らは本道をとったために欣を捕まえることが出来なかった。
20200311
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