~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
秦 の 章 邯 将 軍 (九)
この陳余のいうところは、参謀の長史欣ちょうしきんが、咸陽から逃げ帰った時に言った言葉と似ていた。
欣は章邯の前で激情を発し、
「将軍よ、あなたは、功をつるも誅せられ、功を樹てざるも誅せられます」
と、泣くように言ったことを、章邯はむろんおぼえている。章邯はもはや自分の眼前の運命を、自分の影を見るような明瞭さで見ることが出来た。それでも章邯という男は、自分一個のために自分の運命をほしいままに選ぶという行為にれておらず、このになっても体が動かなかった。
「迷われるべきではない」
陳余の書簡を読んだ欣は、士卒のために迷うことなく項羽の陣営へ行き、その軍の一翼をうけもつべきです、と言った。
「欣よ、いま貴下のことば、今まで思ってもみなかった。士卒のため、ということか」
章邯は、おどろいてその言葉を復唱した。この男が、あらたな行動へ飛躍したいともだえているときに、まわりの景色が変わったかと思えるほどに魅力的な言葉だった。
欣がいう士卒とは、主として項羽軍に捕らわれている者のことをいう。章邯さえ項羽の一将になれば、彼らはもとどおり章邯を首領にいただくことができるのである。
この時代、かつて白起にせよ、蒙恬にせよ、名将といわれる者で、士卒の間で人気のない者はなかった。将自身が慈悲深い性格だったり、またそのようによそおって人気をとろうとする者もいたが、章邯はそういうがなく、むしろ士卒の側において一方的に人気があるという型の男だった。そのため、士卒がたえず数量化されて彼の頭で計算されているだけで、その一人々々の生死にあわれみをもつということはなかった。章邯が函谷関を出て以来、彼の作戦で死んだ者はすでに数万にのぼると思われるが、そのことの憂いが彼の心を重くしていたということはないといっていい、といって薄情者ということではなく、感情の量が、やや少ないということであるらしかった。
彼が士卒のためという理由を動機に奔敵ほんてきすることに決心したのは、彼のべつな性格によるといえる。自我の量が少なく生まれついたこの男は、なにか崇高なもののために働くということなら昂揚しつつあるその気持ちを持続することが出来た。秦帝国のためということをてた以上、あらためて士卒を見直し、彼らのために自分一個が犠牲になるということなら、陳余や欣がすすめるあらたな生き方も意味があるではないか。
「わかった。欣よ」
と、章邯が言った。
「よく決心なさいました。あとのことは私がすべてやりましょう」
と、すぐれた属官である欣が、いかにも属官らしいこの仕事を買って出た。彼もまた、どこか章邯に似ていた。欣一個で寝返るなどということは出来なかったが、上司の章邯がその大方針に決した以上、その実現のために、生まれついての裏切者のようにいきいきと動きはじめた。
ただし、章邯の投降は、すぐには成立しなかった。
何度か使者が楚軍に接触したのだが、項羽自身、何を考えていたか、会った奇跡がない。
それどころか、項羽は新作戦を両度にわたっておこし、三戸さんこ(河南省)で秦軍をやぶり、ついで迂水うすいのほとりでもこれを大いに破った。わずかに想像できるのことは、項羽は、章邯に書簡を出した陳余が功を立てる結果にならぬよう配慮したのかも知れない。項羽はその後も陳余に意地悪をし、彼が頭角を出そうとするのをしきりに抑えたことでもそれは察せられる。
七月、暑さが極まるころ、項羽はついに章邯の投降を受託した。受託したことについて項羽の配下への理由は、
「わが楚軍においても、食糧が乏しくなっている。これ以上の戦いは当を得たものではない」
ということであった。陳余の文功については、ひとことも言及しなかった。ただし、食糧の窮迫はこの時期、冷厳な事実であった。項羽軍はこのあたり一帯の食糧をほぼ食いつくしてしまったのである。
20200312
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