~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
江 南 の 反 乱 (四)
項梁は、楚の伝統的な教養を継承している。それに、秦を激しく憎んでいる。文字ひとつ教えるにしても楚の奔放華麗な、つまりは絵のようなかきかたを項羽に示し、秦の書き方については、
「秦では、こうだ」と書き、
「まあ、秦の方も憶えるだけ憶えておいたほうがよい」
いわば、補足として教える程度だったはずである。項羽はついに棒を折り、
「文字などは、叔父さん、自分の名前が書けるだけでよいではないか」
書ハ以テ名姓ヲ記スルニ足ルノミ、といってやめてしまった。項梁は、学問がおい・・ の性分にわないとすれば無理にいることはあるまいと思い、つぎは剣術を習わせた。ところが、項羽はこれも途中で放り出した。基礎動作の繰り返しが、退屈でならなかったにちがいない。さすがに項梁も腹を立てて、
「いったい、おまえ、そういうことではどうするのだ」
と言うと、項羽は、剣などいくら習ったところでただ一人を倒すだけじゃありませんか、と言い返した。
「もし万人を相手にする術があれば、それを習いたい」
と言うと、項梁はこのおい・・の言葉をむしろ喜び、兵法を教えた。兵法は項梁の得意とするところで、自ら兵書を講義した。項羽は一度聴くと大略がわかってしまうたち・・の男で、それ以上は聴くことに飽いた。
「兵法も退屈なものですな」
と、放り出した。
このため兵法もさほどに綿密にきわめたわけではない。ただ、項梁は、
(この子はかん・・はいいのだから)
と、項羽の才幹に失望しなかった。
項梁の情熱は刃物のような形をしていた。秦の天下をくつがえして王になるというより、秦を討って亡父項燕の恨みを晴らすということに研ぎすまされていた。
「亡父のあだを報じたい」
と、口のかたい友人たちにらしていたが、そのように洩らすことによって自分が項燕将軍の実子であることを仲間に信じさせようとしていたのかも知れない。ともかくも、
(ひとたび乱が起これば、項梁は英雄として人心を収攬しゅうらん するにちがいない)
と、人々は見ていた。
この点、項羽より項梁の方がはるかに年配者の間で人気があった。項羽は年若すぎたし、項梁の用心棒程度にしか見られていなかった。
ところが、項羽は二十はたち前になると、身の丈八尺を越える大男になった。秦の尺は、一尺は二三センチメートルである。八尺で一八四センチメートルだが、この背丈は矮小わいしょうな体格の多い江南の田園や市中では大いに目立った。それに力はかなえを持ち上げるほどに強く、さらには頭脳の回転が早く、一種匂うような愛嬌あいきょう もあった。この項羽の肉体的な雄大さと人柄とは、叔父とともに縁を結んでゆく土地々々で、若者たちの人気を得るようになった。すでに叔父が有力者たちの信望を得ている。それとあいまって、彼らは一種の勢力をなしていったと言っていい。
2019/11/18
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