~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
江 南 の 反 乱 (六)
── 項梁、頼むぞ。
と、巨大な権力者である殷通が笑顔を見せてそう言うのも、項梁のような存在がそっぽをむけば、人民の統御をしにくいからである。とくに前代未聞みもんの土木狂ともいうべき始皇帝をかしら咸陽かんようから来る命令というのは、どこそこに人民を一万人出せとか、辺境のどのあたりまで二千人の人夫を送れ、とかいった命令が、相重なってやって来る。その長官にとって途方もなく厄介な仕事だった。徴発すべき人民に逃げられてしまえば、所定の人数がそろわず、法家ほうか式の信賞必罰でもって、殷通自身が地方長官の椅子からころがり落ちてしまう。この人夫の徴発の場合こそ、長官は項梁のように地下じげに力を持つ男に頼らざるを得ない。
── なんとか致しましょう。
と、こういう場合、項梁は引き受けて呉中の町に帰り、かねて手なづけてある有力者たちと談合をかさね、無理があるなら再び郡役所へ走ってその事情を述べ、多少の手直しをしてもらい、妥協の出来るところで人数を揃え、役人にさし出すのである。
── 項梁は、大した顔役だ。
と、殷通の方でも思ってしまうし、また一方、呉中の地下衆から見れば、おそろしくて常人が近寄ることも出来ぬ郡の官衙かんがに出入りする項梁を見て超人のように思い、しかも彼が郡の長官と平然と談合するのを見て、一種、長官の代理人であるかのような権威を彼に感じてしまう。項梁が郡の役所に出入りしていることの効用は、呉中の町の人々に勢力を扶植するためにも計り知れぬほど大きい。ともかくも中国にあっては、王朝やその出先の地方長官が人民に利益をもたらすという例は秦以後ほとんどなく、人民としては、匪賊ひぞく同様、これも虎狼ころうのたぐいと見、出来るだけその害をより少なく逃れることのみを考えてきたし、でなければ暮しも命も、保ってゆかない。
「項梁様」
というのは、この虎狼の害を防ぐ守護神のようになってきた。守護神はいつも項羽という馬鹿力の大男を護衛に連れている。町を歩く時も、人に招かれてゆくときも、県の役所の庭で終日、用もないのにたむろしている時も、あるいは日盛りのなかを、遠く会稽郡の郡役所へ出かけて行くときも、この組み合わせは変わらない。
── いい景色だ。
と、人々はあふれるような好意でもってこの二人組をながめている。
呉中の町衆まちしゅうは、天下の蒼生そうせいと同様、秦が考案したこの大陸ではじめての官僚制度というものにれていないのである。項梁は、「官」という虎狼を、魔術師のようになだめこんでしまっている。もし項梁がいなければ、呉中というこの豊かな町は、虎狼のために食い散らされてしまっているかも知れない。
「なにしろ、項梁・項羽のお二方は、楚の名族であられるから」
秦の地方長官も遠慮するのであろう、と呉中の町衆たちは思っていたが、その見当は外れている。鼻息の荒い新興帝国の地方長官が、たかが田舎の名族に恐れをなすはずがない。が、項梁はそういうことを言う人があれば、
「まあ、そういうことだな。秦の役人などは、西方の馬糞くさいきよう(異民族)に似たようなもので、素姓もなにもない。亡びたりといえども楚の由緒に対しては一目いちもくおくのさ」
と、笑っておく。楚の名族については秦といえども遠慮しているということを広めておけば、いざ「項氏」が旗上げしたという時に、大いに効き目があろうというものである。
しかし項梁が、県や郡の役所に行って彼らを懐柔しているのは、そういう名門の効用ではない。おれの背後には何十万という地下人じげにんがついているのだというおどしと、それに項梁が身につけている香薬のようにかぐわしい行儀作法の力である。
「どういうわけか、そのほうと話していると気分がいい」
と、この広大なデルタ地帯で、皇帝の代理として絶対権力を握っている会稽の長官の殷通さえそう言う。殷通というのは宰相李斯りしの法律行政技術の弟子で、法律の眼鼻をつけただけの、他の何の面白味もない男である。その男が、無官の項梁を気に入っているというのは、項梁の行儀のよさであるらしい。行儀がよく、つねに温雅な表情を保ち、片時も相手に対する礼儀上の尊敬を失うことなく──つまり礼儀ということだが──終始していれば、会っているたれもが心やすまる。その上、項梁は、かつての呉越の文化および楚の文化が相重なっているこの江南デルタ地帯の産物、人情に明るく、ささいな話題でも殷通の民治に役立つ事ばかりで、その上、話し方がおもいろい。
さらにいうと、項梁は秦の法にも明るかった。法に即して地下じげの要求を持ち出すために、殷通と言えども、それを拒否することはできないのである。
「いっそにならないか」
吏というのは下級役人のことで、地元から採用される。項梁は感謝の色をうかべつつ肩をすくめて恐縮し、しかしながら自分のような者は町の世話役をしているのが精一杯で、とても吏などつとまる能はありませぬ、と断った。
「おかみの御用に立てば、それだけがよろこびでございます」
そう言われれば、殷通も悪い気はしない。元来、殷通は人情として項梁を愛しているわけではなく、道具として項梁を重宝ちょうほうに思っている。もともと咸陽の始皇帝は地方々々の長官に対して要求が多く、その勤怠については、彼らの背中に常に刃を押しつけて監視しているとといっていいほどにきびしい。中央の命令に対してゆるがせにすることは、いささかも許されない。殷通にすればそういう苛烈かれつな独裁者を主人に持っている以上、項梁のような男を道具にして人民との調和をうまくすることは、かわいた者が水を求めるほどに必要な事であった。
殷通にとって項梁が便利な事は、彼が反対給付を求めないことであった。役所から権利を引き出そうというわけでもなく、取り入って吏員りいんの親玉になろうとする様子もない。
(つまりは、世話をすることだけを生き甲斐がいにしている男だ)
と、殷通は理解しているし、項梁もかねがねそのように自分を説明してきた。
2019/11/20
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