~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
沛 の 町 の 樹 の 下 で (三)
この時代より少し前に、戦国時代が長く続いていた。そのころ、宇宙から人事までを含めた原理的説明法として陰陽いんよう説が流布るふし、一方においてすべての物質は「水火木金土」の五つの元素に帰するという五行説も行われ、やがて二説は一つになった。この当時の哲学及び科学論理というべきものであったが、この陰陽五行説は暦法にも結びつき、さまざまな現象が数量で説明されたした。当時、一年は三百六十日しかない。この数字を五行の「五」で割れば、劉邦の黒子と同じ数の七十二になる。だからおれは特別な人間だ、と劉邦は言う。ちょっと強引過ぎるりくつ・・・かもしれない。
── 七十二という数字は、だ。
と、たれか、陰陽家が、劉邦に教えたのかも知れない。なぜ七十二が五行における土であるのかということになると、劉邦もわからず、陰陽家もわからず、証明不能の境域になる。哲理は、そのあいまさの上に成立する。
── は赤である。
というふうに、論理が発展する。当時、色彩は五つに区分されていた。青、黄、赤、白、黒である。陰陽家は、五の字を好む。五色が五行に付会ふかいされ、五行の「土」は五色の「赤」であるとされた。なぜ土が赤であるのか、論理はそこでゆきどまりになる。このことは公理ともいうべきもので、証明は出来ず、証明が出来ないために、開き直ったように絶対の真理とされ、その後、二千年以上、この理論は中国とその周辺の民族の思考力をどこかでくらくしてきた。ともかくも、劉邦はいつ陰陽家から教わったのか、土は赤である、と言い、土がこの劉邦であるために(七十二個の黒子を持つがゆえに)すなわち劉邦は「赤」である、という論理が成立する。一方、劉邦の母の劉媼りゅうおうが、大きな沢の堤の上で、蛟竜とまじわった。ほどなく身籠みごもって出生した劉邦が竜の子であるというのは、劉媼の亭主すら承認している事実と言ってよく、さらに劉媼と媾わった竜は、赤であるところの「七十二個」の理論から言えば赤竜ということになるであろう。この精密な理論と冷厳な事実を聴かされて反論できるような人間は、この当時、草莽そうもうにも都邑とゆうにもいなかった。
劉邦も、その子分たちも、はいの酒場の仲間たちも、このすばらしい体系から割り出された真理を信じていた。人類は、その後も多くの体系をつくり出し、信じて来た。ほとんどの体系はうそっぱちをひそかな基礎とし、それがおそっぱちとは思えなくするためにその基礎・・の上に構築される体系は出来るだけ精密であることを必要とし、そのことに人智の限りが尽くされた。劉邦とう男がただの人間でないということを疑う者がもし居るとすれば、その者はこの当時の真理である陰陽五行説敵であり、畢竟ひっきょうするところ、真理に対する賊といっていい。
しかも、この理論には抜きさしならぬ実証があった。劉邦の顔であった。
「あれは竜の顔だ」
と、子分の蘆綰ろわんたちが、言ってまわった。彼らは、本気で信じていた。彼らはあぶれ者であったり、無頼ぶらいの徒であったり、こそ泥であったりするが、みな苛烈なしんの法体制の中でか細く生きている。せめて自分たちが立てている親分に神秘性を見出してっ心を安んじたいのが、田畑を持たない彼らの人情というべきものであった。しかしながら、その実、劉邦の顔は、どうにも竜に似ているのである。
まず、まゆの骨が高く、それがまるくを描いている。顔はぜんたいに中高なかだかで、鼻柱においていっそうたかくなっており、鼻の肉もたっぷりついていてよく伸び、そのすがたが心地よい。竜の顔であった。
もっとも、竜がどういう顔をしているのか、たれも見た者はない。竜を見たければ劉邦の顔を見よ、と言われれば雷電に打たれたようにそう認識するしかなかった。くちひげもいい。竜のくちひげはなまずのそれに似ているが、しかしなまずよりもはるかに長く、牛のしっぽのように強靭きょうじんで、馬のけんでつくったむちのようにしなやかなのである。劉邦のくちひげの異様なばかりの美しさは、そのようなつもりで見ると、あるいはそう見えなくもない。
要するに、この沛の町の無頼漢から立てられている男の顔は、竜顔であった。彼が、彼の思わぬことに無数の幸運がつづいて、後にこの大陸の皇帝になってしまったために、はるかな後世にいたるまで皇帝の顔を「竜顔」と美称するようになった。
2019/11/24
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