~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
沛 の 町 の 樹 の 下 で (七)
曹参そうしんのこういう思想は、後年に身についたものではなかった。その気質からみて、沛の獄吏時代にすでにこの考え方の原型を持っていた。この点においては、上役の肅何しょうかもたいした違いはない。ただ肅何の方が、若い頃から吏務に長じ、さらには天性、人間が優しく、彼が面倒を見ていた沛地方の人々に対し、曹参よりもつよい愛情を持っていた。曹参はむしろ肅何の考えややりかたを懸命に真似まねしながら自分を自分で育てた男といっていい。
「私は劉さんを友人だと思っている」
と、肅何はかねがね、曹参に語っていた。あいつには相手になるな、という他の役人よりも、積極的な態度といっていい。曹参も、そのつもりになった。司法の執行権を持つ肅何と獄舎の役人である曹参が「劉さん」を友人だと見ている以上、劉郷が大手を振って県庁に入ってくるのは無理もないであろう。
肅何の出身の在所は、沛地方でも、劉邦と同じほうというむらである。ただし豊にはいくつかのがあって劉邦の中陽里ちゅうようりではなかったが、それでもざっと劉邦と在所が同じだといっていい。このため、肅何は劉邦を他人とは見ず、互に親類の一員であるかのように思っていた。
「劉さん、あぶないよ」
しばらく身を隠していたほうがいい、とひそかに教えてやったこともある。行政上、県の上は、郡になる。沛県の場合、泗水郡しすいぐん のなかの一単位である。その泗水郡の郡衙ぐんがから、劉邦をめざしての手配状がまわってきたときも、肅何は、劉邦の耳打ちしてっやった。
「ははあ、そんなもんかい」
それほど切迫しているのか、という意味のことを、劉邦は他人事ひとごとのようにつぶやいた。こういう場合、じたばたしてはこの大陸では人望を失ってしまう。劉邦のこの態度は、竜顔を持っている以上、当然演じてむせねばならぬ型のようなものであった。
「どこかへ逃げたほうがいい」
と、肅何が言った。
「逃げはせんよ」
劉邦は言ったが、むろん本音は、身をひるがえして早々に逃げたかった。劉邦はその後半生からみて遁走とんそうの名人のようなところがあり、決して身の危険に鈍感なほうではない。肅何は、身を隠してくれたほうが私どもの手間がはぶけていい、私どものためにもそうしてくれ、と言いかえると、劉邦は、
「お前が頼むというなら、身を隠してやってもいい」
と、承知した。
劉邦は、遠く沼沢しょうたくの間に隠れた。この時沛の町の不良少年の多くが劉邦を見放した。付き従ったのは、竹馬の友の盧綰ろわん一人であった。劉邦は後々まで、
「従う者といえば綰よ、お前だけだったぜ」
その頃のことを思い出しては語った。沛をうろついた時代の劉邦にとってもっともるらい時期であったらしいが、この時の罪科といえば大したことはない。窃盗せっとう程度のものである。
2019/11/26
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