~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
沛 の 町 の 樹 の 下 で (八)
このような程度の、沛の町のちんぴらといっていい劉邦が、天下をねら
ただ、沛の県庁に出入りしていて、
(政治とは、馬鹿に簡単なものではないか)
とたえず思った。劉邦が考える政治というのは、肅何や曹参が生涯慎重な態度で模索し続けたそれではなく、沛地方を奪うという程度の、ごくおおざっぱなものであった。文字を十分知っているわけではない彼は、肅何のレベルでの政治のことなど考えたこともない。県庁では、まれに最高権力者の県令の姿を見ることがある。
決して大人物というような男ではない。干し上げた小魚のようにせた男で、秦の官吏らしく法にだけは明るいらしい。しかし日常、実務をっているわけではなく、県庁の運営は、肅何・曹参のたぐいの吏員が動かしている。つまりは、劉邦でも県令がつとまる。
(あの程度の男が県令ならおれでもつとまる。肅何のような能吏を、使えばいいだけだから
)
このことは、政治の規模が大きく郡になっても変わりがなく、大きく大秦帝国そのものになっても、むろん変わりはない。要は能吏たちを見つける目と、見つければ法外に優遇してやる度量とがあればいいだけだ、と劉邦は知った。
(いざ世が乱れれば、県令一人の首をねてその席におれが坐るだけで、おれは沛にきみになり得るのだ。あとは肅何にやらせればいい)
ただおれが県令になれば人々が喜んでおれに従うようにならなばならない、それには平素が大切だ、つまりおれはよほど大きな器量を持たねばなるまい、と思ったりした。劉邦の政治感覚は、その程度のものである。このことは、曹参が晩年、せい丞相じょうしょうの職を後任に譲る時の言葉と照射しあっている。獄やいちを厳正にやれば「姦人」は行きどころがなくなって乱を起こす、というその「姦人」とは、むろんこの場合の劉邦に相当する。劉邦が乱を起こさないには、法吏である肅何や曹参が、法の運用を厳正にせず、かしこくゆるめてあるために、たとえば劉邦のような男もおとなしく内意にしたがって沼沢の間に身を隠すのである。劉邦を追いつめて窮させれば、彼も樊噲はんかいのような命知らずの子分をひきつれ、県庁に暴れこんで県令の首を刎ね、自分が県令になるかも知れない。しかし、時期をたがえて乱を起こせば、肅何や曹参も、上部機構の郡からの命令によってそれこそ厳格に法を執行しっこうし、劉邦を討滅しなければならない。晩年の曹参がいう「姦人」とはそういう追いつめられたうろたえの者のことである。
が、当の劉邦は、かん・・のいい男だから、そういううろたえた沙汰はやらない。ともかくも、沛時代の彼が目標としてたのは、大俠であったことだけは、たしかである。
劉邦は、さほどに独創性のある男ではなかった。大俠といっても、俠とは何かなどと思想としてそれをあれこれ考えるのではなく、るべき典型が具体的にあった。それも、遠からぬ過去に存在した。
信陵君しんりょうくんである。
劉邦はこの伝説的な人物が好きであった。
2019/11/26
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