~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
沛 の 町 の 樹 の 下 で (十二)
ときに単父ぜんばという土地があり、そこに呂公りょこうという勢力家が住んでいた。
呂公は、田地も持ち、多数の作男をかかえ、一面投機をして貨殖し、さらには一面、四方の任俠と交際していた。
その男が、単父で人にうらまれる事態になり、一族をあげて難をはいに避けた。かねて沛の県令と親しかったためで、沛の県令もこの勢力化が県城まちに移住してきたことを喜び、みずからの屋敷に住まわせ、あれこれ世話をした。
県令としては、呂公を沛に住まわせるについては、沛の役人や大小の勢力家たちに顔つなぎをさせておこうと思った。
それには呂公を歓迎する宴を開くのがもっとも手っ取り早い。
「県令の屋敷に、大そうな客人が来ているそうな」
ろいううわさは、すでに沛の内外に伝わっている。たれもが呂公という人物を知らなかったが、県令がしたにも置かずにもてなしているというところから察して、相当な人物に相違ないと見当をつけた。
県令は日を決め、
── 呂公とつきあいを求める者はたれかれなく来よ。
と廻状をまわし、当日、屋敷を開放して宴会場とした。
こういう場合、ばれた者は、呂公への進物を持って来る。進物は銭であった。
当日、宴会のとりしきりを肅何がやった。客の数は肅何の予想を越えてしまい。定刻には屋敷の前のえんじゅの木の下に馬車が満ちた。やがて路上にまで車馬があふれ、人は庭に満ちた。それでもなおつぎつぎに門を入ってやって来るために、肅何はたまりかね、
「進物の銭が千銭に満たない人は、堂下にすわっていただきます」
と、叫び、整理した。堂下には、土間にむしろを敷いてある。筵の上のあちこちに大きな酒甕さけがめがいくつか置かれていた。堂上も、同然であった。人々の間を縫って給仕人が肉を配り、しだいに酒がまわり、騒がしくなってきた。
「もう、客はこのくらいかな」
と、肅何は会場を歩きながら思った。千銭以上の進物が出せる能力を持った人間など、沛にこれ以上居そうにはない。
ちゅおうどその時、門から劉邦が入って来るのを肅何は見た。遠目で見ると、劉邦の体全体が、うなぎの化物が立って歩いているように見える。
(あいつが来た)
時が時だけに、肅何はうんざりした。
当の劉邦は、肅何など、眼中にない。ひょいと肅何の前に立つと、手を懐に突っ込んで木簡もつかんを取り出し、渡した。名刺である。名刺には進物の銭の額が書かれている。
「劉邦 一万銭」
とあった。
(こいつ。──)
肅何は思ったが、役目柄呂公にその名刺を渡さざるを得ない。劉邦が嚢中のうちゅう無一文の男であることは、たれよりも肅何はよく知っていた。しかしそれにしても、一万銭とは吹きすぎではないか。
肅何は堂上にあがり、県令と談笑していた呂公の前に進み出、その名刺を渡した。呂公は県令と談笑をつづけていたが、やがて名刺の数字を見て驚き、はしりだした。はしり出したのは呂公が銭を愛するからではなく。銭で誠意をはかることが、戦国末期ごろからすでに成立していた。一万銭という巨大な誠意の人物には、呂公みずから趨って堂上に案内せなばならないと思ったのである。途中、肅何が追って来てそでを引き、
「あれは、もともと大法螺吹きですから」
と、暗に木簡に書かれた数字がうそだ、とほのめかした。が、呂公の耳に入らない。
嘘であろうが何であろうが、一万銭と書いたのは、自分に交際を求めようとしている気持がそれだけ厚いからに違いなく、呂公の生き方としてはそういう人物を粗略に扱うことが出来ないのである。
「どうぞ」
と、呂公は劉邦に飛びつくようにして手をり、堂に上げた。席をつくって自分の横にすわらせ、あらためて劉邦の顔を見、声をあげた。
「大変なご人相であられまするなあ」
と、言った、
「私がですか」
「私が、ではない。あなたを除いて、何人なんびとがそういう人相を持っておりましょう。私は、若い頃から好んで人をそうしてきましたが、あなたのような人相を見たことがありません」
呂公は、昂奮しきってしまった。
2019/11/30
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