~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
挙 兵 (六)
右のようなことは、事実としては無かったかも知れない。ある日の中陽里の路上で似たような事実が起こったかも知れないが、たとえば旅の老人が、呂氏の親切にこたえて、あなた、いいお顔をしていらっしゃる、お子達の相も、なかなかどうして ── という程度のことは言ったかも知れない。
しかし事実であるかどうかよりも、これが事実として噂がひろまったことの方が重要であった。
同時代に広まっただけでなく、のち、これらが沛のあたりの民間伝承として長く息づいていたことを思うと、よほど、伝播でんぱ力と伝承力えおもった伝説だったに違いない。
おそらく、このはなし・・・の潤色者は簫何であったであろう。
噂は、それを語るにんによって、人々は信じるか信じないかを決める。この噂も、簫何の人柄と人望を通してはじめて「事実」として成り立つに違いなく、他の者がこれを語れば、ただの笑い話として忘れ去られたに違いない。
といって、簫何は奇を好む男でもなく、乱を望む男でもなかった。
(もし天下が大乱になれば、どうしよう)
という思案が、常住、簫何の頭にあり、その場合、沛地方を守るための中心的な人物を想定しておかねばならなかった。簫何は、劉邦がいいと思っている。
しかしなま・・の劉邦ではどうにもならず、すこしは潤色する必要があった。
── あのろくでなしか。
と、沛地方のたれもが思っている。農夫たちは、百姓仕事を嫌ってほっつき歩いている劉邦など、屁のような男だと思っている。
沛の商人たちも劉邦など踏み倒しの常習者としか見ておらず、県の小役人たちは劉邦をこそどろ程度にしか見ていない。簫何しょうかにすれば、堂々たる容姿と可愛気だけが身上しんじょうの劉邦と言う存在に、神秘性を付加せざるを得なかった。
(沛に、人物を一人つくっておくのだ)
簫何は思っていた。彼の思案は、いざというときに、その一個の人物が磁石じしゃくになって、まわりに人間どもが鉄粉のように吸収されるようにしておかねばならない。
── 劉邦というのは、一見ただの人間に見える。しかし天意がこの男にあり、将来、皇帝になる事が決められている。
という神秘性を劉邦に付加すれば、人々は劉邦のまわりに集まり、たちまち大勢力をなすにちがいない。ともかくも万一の場合、沛に一つの勢力をつくることが必要であった。簫何にすれば劉邦の無能など、意とするに足りない。その補助者に有能な者が多く居ればよく、彼らが懸命に劉邦をたすけ、彼の空虚をおぎなってゆけばそれで済む。
(劉邦は空虚だ)
だからいい、と簫何は思うようになっていた。
理想を言えば、いっそ空虚といううつわが大がかりであればあるほどいい。有能者たちが多数それをたすことが出来るからである。簫何の見るところ、劉邦の馬鹿さ加減は、導きようによってはその大空虚たり得る。さらには簫何が見るところ、劉邦は臆病で、身があやういとなるとさっさと逃げてしまう。しかしその臆病も、陽気さというものがおぎなってあまりある。その陽気さはまわりの人間をも陽気にさせているようで、将来、困難に出くわしても劉邦とその仲間は大いに陽気に切りしのいでゆくだろう。陽気さは七難を隠すのではないか。そのうえ、子供っぽいほどにお調子者でもあった。
もし劉邦の運に調子がつけば、彼自身、それに乗り、竜の申し子といわれているとおり天へけ昇るということも可能かもしれない。
2019/12/07
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