~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
挙 兵 (十二)
むろん、簫何がつくった、というほうが正確である。
もし肅何が居なければ、劉邦などは、沛の沼沢地に出没する無名の草賊として、最後には野たれ死にしていたろうことは、ほぼまちがいない。
それにしても、簫何は、表向きは泗水しすい郡の純良な能吏である。劉邦が沼沢に逃げ込んだということを知った時ばかりは、
(困ったことになった)
と、頭を抱え込んだ。秦の始皇帝がほどなく死ぬという事は、この時期、簫何といえども、予知していない。秦の世はまだ堅牢と見ざるを得ず、このため、早まって草賊になってしまった劉邦とその仲間を、肅何は公然と私軍として育てることは出来なかった。簫何はいうまでもなく郡の警察責任者であった。彼らを逃亡者および草賊として対処してゆかざるを得なかったが、幸い、劉邦逃亡の件は、劉邦がしらせて来たほか、公式の報告は入っていないために、郡の御史ぎょしも役人たちも知ってはいなかった。
彼はこの一件を秘密にすることにした。
とりあえず、
洗沐せんもくのための休暇を賜りとうございます」
と、郡の上司に届け出、すぐさま沛の町に帰った。
沛の町では、簫何の顔を知らぬ者はない。
このため、夜、町に入り、自宅の奥に引きこもると、ひそかに県庁から曹参そうしん夏侯嬰かこうえいを呼んだ。簫何の沛時代の腹心の部下であった曹参は、その後も、沛の牢屋役人をしている。夏侯嬰はすこし職務がかわって、県令の御者ぎょしゃをつとめていた。
「なにか、大事が起こったのでございますか」
と、曹参は聞いた。
「劉邦は、もうこの世の中には戻れぬ」
簫何は、聴き取れぬほどの低い声で言い、劉邦の一件を話した。
他言たごんするな」
簫何は言った。劉邦は秦の法に照らせば極刑にあたいし、郡県をあげて追補すべき重要犯人になった。
「ともかく、水(沼沢)の滸に彼をおとなしく閉じ込めておく必要がある。盗を働かせてはならぬ。盗を働けば、いかにわれらが彼をかばおうとも、職務上かばいきれなくなる。それには、かてを与えることだ。かてを与えるには、沛県のすみずみまで彼の味方をつくってやることだ」
簫何は、のちのち、状勢が変化してからも劉邦のためにひとり辛苦して兵站へいたん補給の役目をつとめたが、その仕事のたんは、この劉邦の逃亡の時にすでに発しているといっていい。
「いつまで劉兄ィを潜伏させておくのです」
と、夏侯嬰は聞いた。
「秦の世が乱れるまでだ」
簫何が言ったが、この言葉は彼の革命への宣言と言ってもよかった。
「革命ですか」
曹参は、水のように静かな表情で言った。
同時に、彼らはこの時劉邦党というパン(秘密党)を結んだといってよかった。この最も困難な時期、簫何に次いで重い任務を背負ったのは、曹参だった。彼は劉邦追補のための県の警察業務を怠行させるとともに、裏面では秘密を共有しうる里人りじんを組織しなければならない。
夏侯嬰の仕事も、重い。
劉邦には、厓の町などに葬式屋の周勃しゅうぼついぬ屠殺とさつ人の樊噲はんかいといった有能な子分たちがいる。嬰はひそかに彼らを訪ね回って結束させねばならない。簫何・曹参の意をよく含ませ、劉邦党の幹部として県下の里に潜入して農民に劉邦を助ることを説き、かつ劉邦の潜伏地まで糧秣りょうまつを秘密に運ぶ仕事をさせる必要があった。
「それには、いままでの劉邦では、どうにもならぬ」
簫何が、言った。
「あの男を尊ぶのだ」
「私は尊んでおります」
夏侯嬰が言った。
「そう、あなたは尊んできた。しかし私はそれが薄かった。これから主人として尊ぶ。それには、呼び方を改めねばならぬ」
しばらく考えてから、
「劉公と呼ぼう」
貴人として尊ぶのだ、と簫何は言った。農民たちに劉邦の噂を伝える時に、王であるかのようにうやうやしくその名を呼ぶ。でなければ、今までのろくでなしの劉邦のために誰が命がけで糧を供出するか。
「劉邦は生まれ変わったのだ」
簫何は宣言するように言った。
中陽里ちゅうようりは、二十五戸が挙げて劉邦りゅうほう党になった。その理由は、劉邦の故郷ということもあり、また同じ里の出身の蘆綰ろわんが命がけで里じゅうを説いて廻ったためでもある。しかしなによりも里人にとって肅何が後盾うしろだてになっているということで劉邦を見直し、安心もしたということが大きかった。兄の劉伯りゅうはく の家で畑仕事をしている呂氏りょしは、むろん劉邦の立場について、周勃など後方勤務者がひそかに連絡に来ては説明しているために、よく知っていた。劉邦は隠れ家を転々としているが、そのいちいちについても、呂氏は周勃などから知らされている。
2019/12/11
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