~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
楚 人 の 冠 (二)
二世皇帝胡亥は、人としてべつに愚鈍というほどでもない。ただ他人に対するいたわりや愛情がもてないために物事がわからなくなり、自分一個の思想に閉じこもらざるを得なかった人物というだけで、それなりに自己完結しているという意味でいえば一種の思想家と言えなくもない。
むしろ、鉾のように鋭い論理を持っている。
即位早々、先代からの老臣(右丞相うじょうしょう去疾きょしつ、左丞相の、将軍の憑却ふうきょう)が進み出て、阿房宮のような大土木工事はやめたほうがいい、とこの思想性の高い新帝に諌言かんげんしたことがある。
函谷関かんこくかんから東に群盗がはびこっているのを何とお思いになりますか」
と、彼らが言い、説明した。租税が重すぎ、かつ人民を労役に駆り出し過ぎるからだ、とも言った。しんの言葉では、辺境の兵役はじゆという。ぼう大な租税を水運ではこぶ労役をそうといい、陸送する労役をてんという。土木・建築の労役をさくという。
  戌
  漕
  転
  作
「このために人民は翻弄され、家郷を離れ、ついには流離して流盗にならざるを得ないのでございます」
と、彼らは言う。
これら流盗に対し、我々も手をつかねているわけではございませぬ、精兵を四方に派遣してこれら群盗を討ち、見つけ次第殺してはおりますが、おびただしく跳ねまわるのみるようなもので、いかに大軍を所有していても手がまわりませぬ、かみの御英断をもって、せめて阿房宮の仕事だけでも中止して下されば治安はよほど安定するはずでございます、と言った。
── 民があわれでございます。
とは、老臣たちも言わない。彼もまた法家ほうか主義の帝国の官僚であるため、人情論は、この宮廷では禁句だった。
胡亥は聴きおわると、さとすように、
「お前たち、ぎょうしゅんを知っているだろう」
と、言った。老臣たちはむろん知っている。
堯と舜はいうまでもなく漢民族が帝王の理想として来た伝説の存在だが、この時代、まだ大勢力を得るに至っていない儒教の教団がとくに聖人として持ちあげて来ている。しかしながら思想の如何を問わず。漢民族にとっては土俗にまで浸み込んだ神話的人物なのである。
胡亥は、言う。
「堯や舜、あるいは禹は、間違っている。たとえば堯や舜の宮殿は、王であるというのに、屋根は茅葺で、たるきも丸太のままという粗末なものだったというではないか。また彼の食事といえば土器かわらけでめしを盛ったり、あるいは汁を満たしたりした。ともかくも秦の門番といえども堯や舜よりひどい暮らしではない。禹は禹で、治水ちすいばかりをやっていたというのはいいが、王みずから労働して、ついにすね・・の毛がすりきれるほどだったという。今の世で、驪山りざんで土を掘っている人夫の労働といえども禹の働きの激しさよりはましだ」
── だから古の聖人は偉かった。
と、胡亥は言うのではない。
── 彼らは、取るに足らぬ。
と、思っていた。
胡亥は、そこで話を中断して、
「聴いているか」
と言った。薄い唇をとがらせ、老臣を軽蔑するような冷笑をうかべている。胡亥にすれば、新皇帝たる自分の思想がすなわち天下の思想たるべきもので、臣僚どもはよく胡亥の思想を学び、それを知った上で天下の行政をすべきであるのに、胡亥の思想を知りもせずに諌言するなどというのは本末転倒もほどがある、という気持がである。
「堯や舜、あるいは禹は、皇帝たるべき者の理想ではない」
と、胡亥は言い切った。
つまり、徳化主義というのは間違いなのだ、という。
韓非子かんぴしも、それを言った」
と、胡亥は言った。
「わが父たる始皇帝も堯舜とは反対の思想でもって天下を治められた」
と言い、さらに、
「およそ、人たる者が、なぜ天子を尊ぶか。天子に德があるために尊ぶのではない。堯舜のように貧であるかゆえに尊ぶのではない。禹のように奴隷よりも激しく働くから尊ぶのではない。天子は天下を保有する。それも一人で保有している。天子たる者は天下の富を保有し、天下の人民を意のままに使い、その他すべてを意のままにふるまって欲望を極め尽くしてはじめて下々しもじもは天子とは人間にあらず、格別に尊貴なこのだと思うようになる」
と言った。
この胡亥の言葉からみても、彼が始皇帝の法家思想の醇乎じゅんことした後継者であることがわかる。
「天子が天下を治める方法は、法に尽きる。人主たる者は法をあきらかにし、刑罰をきびしくさえしてゆけば、民は決して非違をおかすものではない」
と、胡亥はいう。法家主義の基本思想というべきものである。
「それを何ぞや、関東(函谷関から東)に流賊がはびこるとは。さらには何ぞや、流賊生起の原因が、先帝の遺業であり、かつちんがそれをひきついでいる土木工事にありとは。けいらは、先帝および朕に罪をかぶせようとするのか。法をよく執行してそれらの根を断ち葉を枯らすのが卿らの股肱ここうたる者の仕事ではないか。
言っているうちに、胡亥は、この老臣たちが、単に思想が分からない間抜けであるだけでなく、法の執行者としての職分を怠り、怠っているがために流賊が生起している、ということに気付いた。
(いわば流賊をつくっているのは、この連中ではないか)
と、思った。
(その罪は流賊よりも重い)
論理の当然な帰結であった。
それだけでなくこの連中はおのれの罪を天子にかぶせようとする。
(逆賊ではないか)
胡亥は、頭から血が噴き出しそうなほどに激しく憎悪を覚えた。思想というものは本来自己完結をめざすために、思想的不純性や他の思想をはげしく排除するものらしい。
胡亥は、三人の老臣を牢に入れてしまった。
このうちの二人は牢内で自殺し、一人はこの恥辱にえて死ななかったが、あとで罪を作られて刑殺された。
2019/12/13
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