~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
楚 人 の 冠 (三)
胡亥こがいの法家思想の教師は、かつて彼の家庭教師だった宦官かんがん趙高ちょうこうである。後世、史家は趙高をもって中国政治史のなかでの最大な奸物としたが、この男が悪であることの本質は、あるいは思想的でありすぎたということかも知れない。この去勢者には胡亥と同様、思想と欲望がある。しかし忠誠心を含めての情緒というもが、皆目なかった。
趙高は、刃物のようにするどい論理を持っている。ある日、彼は宮廷の奥で、胡亥に対し、
「陛下は、ご自分のことをちんと仰せられます」
と、諭すように言った。そのとおりだ、と胡亥はうなずいた。もっとも、朕という一人称は、古い時代、尊卑にかかわりなく人々が使っているのを、始皇帝が法律をもって独占したわけで、胡亥も史上二人目の朕の独占者としてそれを使っている。朕は、普通名詞としてべつな意味もある。物事のきざし・・・、兆候を意味する。趙高はこれを踏まえ、
「朕とは、きざし・・・でもあります」
と言った。
「ああ、きざし・・・か」
胡亥は、こういう論理の遊びが好きであった。
「ここをよくお聴きあしばせ」
趙高は言った。
「物事のきざし・・・というのは、目にも見えず、耳にも聞えませぬ。陛下が朕お仰せられる時、ご自身がきざし・・・であることをお思いなさらないと、朕ではありませぬ。人の耳目に陛下の声容が触れるようなことがあっては陛下はただの人間であり、皇帝ではないということになります」
「おお」
胡亥は感動した。
「はじめて知った。きざし・・・であるがために、群臣が見ようと思っても見えず、聴こうと思っても聴こえぬわけだな」
胡亥はすでに思想的人間である。自分の思想の重要な欠陥をこのようにおぎなわれることをもっとも喜んだ。皇帝が人前に出てはきざしでなくなるというのは真理というべく、思いあわせると、先帝の晩年が、すでにそうであった。きざし・・・であるがために宮殿の中においても大臣その他の者に会わず、子である胡亥さえ父の帝を見ることが出来なかった。ただ趙高にみが始皇帝のそばにいたが、この男は宦官であるために人ではない。
「つまり趙高、お前にだけは姿を見せていいわけだな」
「左様でございます。ただきざし・・・だけでは、皇帝陛下の御意思が下々に伝わりますまい。おそれながら趙高がお声に代りたてまつって、百官にお伝え申し上げます」
「もっともなことだ」
胡亥は、趙高が自分を皇帝にしてくれたことを知っている。皇帝を作った男が、皇帝の声のかわりになるのは当然といっていい。
この問答の頃から、趙高が皇帝代理のようなものになった。代理というより、趙高ののど・・から出る言葉が皇帝の言葉である以上、百官にとっては去勢者の趙高が皇帝そのものに見えた。
2019/12/15
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