~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
楚 人 の 冠 (八)
関中にあっては、宦官かんがん趙高ちょうこうは、容姿から顔つきまで、以前とは変わってきている。以前、先帝のさかんなころは餌を探す小動物のように目の動きがすばやく、先帝の心をよく読み、日常、先帝が用をいいつける前にいちはやくすべるような足どりでそれを持って来るというぐあいの男であった。そのため、つねにひざをわずかに曲げ、首を垂れ、人間以外の──かといって野獣でも家畜でもない──一種特別な動物のような感じで先帝のまわりにまつわりついていた。先帝の晩年、趙高はもはや生物としての先帝の一部になって溶け込み、長江がいなければ判断も出来ず、極端に言えば生存すら出来ないのではないかと思われるふうになっていた。このことは、宦官という、人でないとされる存在の、芸としての極致をきわめたものといっていい。
ただ、二世皇帝胡亥こがいとの関係は、先帝時代とはまったくちがっていた。
「秦帝国の立国の思想は何か」
というふうなことを、趙高はたかだかとこの若い説く男になっていた。
何と言っても胡亥に対する趙高の影響力は、彼の家庭教師だったという点で、根が深かった。
胡亥に文字を教え、書を教え、さらには法家ほうか 思想を教え、帝王学まで教えてきた。幼い頃から胡亥は趙高に教えられてきているために、趙高の口から咳唾がいだとともに出てくる言葉の全てが先哲や先帝の珠玉のような思想、教訓そのもにであるとつい思い込む癖がついていた。
それ以上に、胡亥が趙高に大きく負っているところは、趙高の謀略のおかげで皇帝になったということだった。という以上は、趙高は師父以上のものになってといっていい。趙高の言うことに従っていれば間違いがなく、それ以上に、皇帝としての判断はすべて趙高にゆだねてしまうというまでになってしまったのは、胡亥としてむしろ自然なことであったといってよかった。
胡亥の皇帝としての仕事は、後宮で女どもに惑溺わくできしきってしまうということだった。趙高が胡亥に教えてきた帝王学というのはそのようなものであり、そのように躾け、むしろ強制してきた。それが皇帝の至上の善であるという。この宇宙の中で秦の法に拘束されないのは皇帝一人であり、無拘束の存在である皇帝たるものは、欲望を思いのままにげるということを天から許されているのである、と趙高はいう。でなければかえって下々しもじもの尊敬を失い、ついには反乱を起こすにいたるものだという。胡亥の場合、その旺盛おうせいな欲望は女に集中した。趙高は皇帝たるものは社稷しゃしょくを安んじねばならない、社稷を安んずるの道は皇帝のしゅやすことである、つまりは婦人をぎょすることが天命にかなうための第一の道である、と胡亥に言った。
すでに、大官に対する接見は主として趙高がおこなっている。
彼は事実上の皇帝として百官に君臨したために、表情、言葉づかい、動作のすべてが以前の彼とはまったく別人のようになった。
2019/12/18
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