~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
楚 人 の 冠 (九)
胡亥こがいは、その臣下たちに会わない。
が、秦の中央組織において、趙高がうっかりつぶし忘れた習慣があった。戦時、前線において急変が生じた時、前線の将軍の伝令がまっすぐに宮門を通り抜けて皇帝に直接報告することが出来る。出来るというよりも、せねばならなかった。秦にあっては皇帝は全軍の最高司令官であり、とっさに判断して前線の進退や援軍の急派を決めなければならないのである。趙高がこの習慣を潰し忘れたのは始皇帝しこうていの大陸統一以来、大陸内部での戦いが終息して平和が続いていたためであった。
陳勝が反乱を起こした当座は、各郡県の地方官たちが対処すべき各郡での治安問題にすぎなかった。
が、彼が陳の都城を占拠して「張楚」の王(世間での呼称は陳王)となり、四方に軍隊を派遣して各地の秦軍と戦いはじめた時は、すでに事態は治安問題を越えて戦争へ飛躍した。各地の地方官としては中央軍の派遣を乞わざるを得なくなり、前線からしきりに伝騎が咸陽かんように向かって飛んだ。
この最初の一騎が、謁者えつしゃという職名の官に報告し、謁者にともなわれて胡亥に拝謁し、前線の実情を述べた。
前線といったところで、胡亥は戦いが起こっているという事実そのものを知らない。
「うそだ」
と、叫んだ。
この時の胡亥の気持は、余人にはわかりぬくい。
胡亥のような生い立ちと環境とそしてその思想を持った者が、他に一人、地上にいるとすれば、その者だけがかろううじて理解出来る。学問も知識も思想もそして政治向きのことも、すべて趙高を通して受け渡されて来た。趙高を経ない知識や事実というものにかつて接したことがないし、そういうものすべてがいかがわしいと思ってきたし、もしもそうことがあればすべて自分をまどわすもの──と、趙高から教えられている──と頭からこの二十一歳の若者は思い込んでいた。まして秦帝国にそむく者があろうか。
そういう勢力が出現するなど想像したこともなく、ましてそれが戦争の形態をとっているまどというにいたっては、妄誕もうたんもはなはだしい。殺すべきだと思った。
「汝、ちんをまどわすか」
と叫び、趙高を呼んだ。趙高は泡を食って飛んで来て、その伝令を勅命によって牢に放り込んだ。しかし、次々に似たような使者が来ることを趙高は恐れた。彼は策をたてた。
まず自分の腹心の者に言い含め、皇帝陛下の宸襟しんきんを悩まし奉ってはならぬ、として、戦場からいかなる報告が来ても、「流賊は鎮定されつつある」ということを伝令に言わしめよ、と命じた。
以後、戦場から多くの使者が来たが、宮門を入ると、すべて戦勝と鎮定の報告になった。胡亥はついに陳勝という名も知ることなく、項梁こうりょう項羽こううという名も知らず、まして劉邦りゅうほうといったような名も知らず、秦を亡ぼすにいたる反乱者の名をすべて知ることなく、その短い生涯を終えることになる
2019/12/19
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