~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
楚 の 武 信 君 の 死 (一)
長江を渡った項梁こうりょうとその軍は、北進した。途中、大小の流民団を吸収しつつふくれあがった。
「項梁どのは、ただのお人ではない」
よいう評判が、四方に飛んでいた。項梁が亡楚ぼうそ項燕こうえん将軍の遺児だということも多少あるが、それよりも人柄に固有の品があって、どこかなぞめかしい。
ただ惜しいことに項梁は雄大な体軀を持っていない。この時代、将軍たる者は見るからに軀幹くかん長大で強悍きょうかんであるか、それとも神人しんじんかと思わせるような異相を持っているか、そのどちらかであることが望ましい。一見、老書生としか見えない項梁は、その点では百万人に仰がれる条件を欠いていたが、しかしこのことはほんのわずかな留意で補うことができた。できるだけなま・・の姿を衆目にさらさないことであった。
── なんだ、あれが項梁かえ。
と、人々の心にわずかな失望の気でも生じれば、何万という単位のなかでは、張りつめた壮気がえてしまう場合がある。
この点、項梁は心得ている。彼の存在は、一軍の中でそこだけが霧に包まれたようになっている。行軍中は、項梁は、かつて始皇帝しこうていが乗っていた轀輬車おんりょうしゃのようなものに乗っていた。そこで彼は作戦を練り、諸将への命令を出し、食事をし、ときに午睡した。
「おれの体も、なまってきたな」
と、ときに思わざるを得ない。若い頃に剣技で鍛えたはずの体も、長い流浪の暮らしでなまってしまったし、それにとしということもあった。終日、車に揺られていると、腰のあたりが溶けそうになるほど疲れた。疲れは累積した。疲れると気が滅入ってきて、これほどうまくいっている状況のなかでも、
(もう、どうでもいいではないか)
と、茫漠ぼうばくとした退嬰たいえいの思いの中に陥ちこんでしまう。たとえ秦を倒さなくても楚をおこすだけでいい、それだけでいい、といったような、余人にはらし難い思いにとりつかれるのである。
滞陣中は、ときどき蒸発した。自分に言いきかせている理由は、すこし歩かねばかえって疲れる、ということであったが。しかしこれは彼の骨髄こつずいに食い入っているような性癖で、ときに独りっきりにならねば気ぐるいするようにうつしてしまう。日没前後にただの農民の衣服に着かえ、夕闇ゆうやみの中で兵士のむれの中に入ったり、あるいは残光を頼りに山野を足早に歩いていたりすると、はえがもとの流れにもどってひれ・・をいきいきと動かすように、よみがえったような思いがした。

そういう項梁でも、淮水わいすいを北へわたった時ばかりは、遠い北岸の緑の線をのぞんで渾身こんしんに壮気が満ちた。
淮水を渡ればすでに、人文の粗放な南方の蛮地ばんちではない。
漢民族の中心ともいうべきいわゆる中原ちゅうげんに近い。はるか北方には黄河こうがの長大な下流がうるおす平野がある。淮河わいがはその南方にあり、黄河・淮河の間の平野こそ古来この大陸の民族が耕しぬき、を争ってきた文明の大空間ろいっていい。要するに淮河は、この大陸における南北の分割線をなしているのである。
(江南の長江ちょうこうは大きすぎる。真に人間を益する河というのはこの淮河のことだ)
と、項梁は思っている。黄河は東流する。淮河もまた東流するのである。黄河と淮河の間には、もつれた糸のかたまりのように無数の河川が北流し、南流し、それぞれの河畔に無数の都邑とゆうが発達した。項梁とその軍は、そのまたっだ中に踏み入りつつある。
2019/12/31
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