~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
楚 の 武 信 君 の 死 (二)
淮河を渡ってほどなく、
黥布げいふ
という人の名を聞いた。げいとは、入墨のことである。江南にむ非漢民族 ── たとえばえつ人 ── ならば顔やからだにうれずみを施し、水に潜って魚介を る。しかし漢民族にはそういう蛮風はなく、鯨を施したものと言えば受刑者しかない。黥布はりく(安徽あんき省)の人である。おんとうの姓は、えいであった。名前のは貨幣の一種だからじつに覚えやすく、六では名物男であった。
布は肩が山のように盛りあがって、力が強く、気が荒くて虎のような野生を持っている。少年のころから尋常に世を渡れるような人間とはとても思われなかった。人相見なども、
── この子は長じていれずみ者になるだろう。
と、予言した。さらに、
── 刑罰を受けたあとに、王になる。
とも言い添えた。
布は長じてごろつき仲間を率いて横行し、ついに秦の役人に捕らえられて入墨をされ、他の囚人と共に縄を打たれ、始皇帝の驪山りざん陵の土木工事にこき使われた。たちまち囚人仲間の親玉になり、やがて「いれずみの布」といえば驪山の飯場で有名だったらしい。
「黥布」
という呼びかたは、その土木現場でできた。
陳勝ちんしょうほうき起する前後、黥布は、飯場を逃げた。彼を慕う囚人どもを率いて各地を転々し、盗賊働きをしていたが、さらに広範囲に流賊をかき集めようと思い、それには有徳うとくの者を担ぎ出すにかぎると思った。番陽ばよう県の県令に呉芮ごぜいという人物がいて「番君はくん」と尊称されていた。布はこの人物に謁し、これをかつぎ、さらに勢力をふくれあがらせているうちに亡楚の遺臣の項梁の名を知った。
さらには項梁が江南の健児を率いて北上し、日に日に勢いを増しているころも知り、使いを出して、自分を売り込ませた。
(黥布か)
項梁は、その名前の物凄ものすごさから人物を察した。さらには使者からその力量と性行うぃ聞いていよいよ期待した。この時代の軍には、先駈けして敵の堅陣をぶち破る猛獣のような野戦将軍が必要であった。項梁軍の場合、さいわいおい・・項羽うこうがいる。しかし数方面の作戦を行う場合、破壊力は項羽一人では不足で、不足以上に不便であった。項羽の部隊だけが驀進ばくしんして他の部隊が取り残されるために、かえって作戦に支障をきたした。猛将は複数であることが望ましかった。
やがて黥布が来た。項梁はひと目見て、
(これは、人間の化け物だ)
と、感じ入ってしまった。
項梁は酒肴しゅこうを用意して黥布と一夕をすごした。黥布は無口で、ただひたすら、酒を飲み、陪食ばいしょくする諸将の談論をむっつりした顔で聴いていた。項梁は、これは馬鹿かな、と不安になったが、しかし話のかんどころで、みとおるような笑顔をつくった。
(馬鹿ではない)
と、項梁は安心した。人の話のどういう場所にユーモアを感ずるかということで、その人間の格調が察せられる、というのが、項梁の人間観察のやりかたの一つだった。
項梁は、黥布を大いに優遇し、項羽とともに先鋒せんぽうの大将のひとりに任じた。

2020/01/01

Next