~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
楚 の 武 信 君 の 死 (四)
黥布は、見事な働きをした。
彼は各地で陳王の兵を吸引しつつやがてかつて(山東省)とよばれた地域に乱入して秦嘉を攻め、胡陵こりょう(山東省)でこれを殺した。かつその兵の降伏を許してよりいっそうに軍を大きくした。景駒はにちにりょうの地に逃げ込んで死んだ。
黥布は、成功した。
(あの化け物が大勢力を得ては困る)
後方にあって項梁は思い。あわてて下邳かひの地を引き払い、黥布のあとを追うように、黥布の占領した胡陵の町に本営を移した。悪く言えば項梁は黥布の成功を横取りしてその上に乗っかったようなものだったが、黥布には人のよさがあって、べつになんとも思わなかった。
それよりも、黥布はこの戦勝の勢いをもって遠く西へ行き、秦の章邯将軍と決戦しましょう、と項梁に提案した。
「あわてることもない」
項梁は言った。
「秦軍など、いつでもつぶせるのだ」
項梁は半ば本気で言った。項梁の自信は、肥大してきている。今まできわめて偶然ながら秦軍の空虚であった地域ばかりを行軍し、そういう地域でたまたま出遭であった秦の地方軍の小部隊を追い、途中、流民をあわあせ、さらには流民軍の一派に過ぎない秦嘉・景駒の徒を討ってこれに勝った。そういう形でのいわば安易ないくさをつづけてきた。秦の正規軍とは衝突したことがなかったが、しかし、
(秦の章邯なぢに何ほどのことが出来るか)
と、思うようになった。なるほど陳王の軍は章邯のために砕かれた。しかしそれはいくさを知らぬ陳勝だから敗れたわけで、項梁の楚軍はそういう手合いとは軍隊としての素質が違っている、と項梁は考えている。
(おれは、常勝将軍なのだ)
と思いながら、自信の片面には、穴へ暗く陥ちこんでゆくような不安があった。兵数がほしい、ということである。秦軍の倍はほしい。秦の章邯将軍は、三十万の兵を動かしている。項梁は、十万でしかない。この十万を六十万ほどにふやすにはどうすればよいか。
(黥布のような徒には、この思案がわからぬ)
と、項梁は考える。項梁が、この大切な時期に、諸事、てきばきと事を動かすことが出来ない、という理由も、項梁にすればここにあった。
兵数をふやすのは、簡単といえば簡単であった。
西進すればいい。西へ西へと手負いの虎でも走るような勢いで驀進すればよいのである。
西方 ── 関中に入る途中の黄河流域 ── には、秦王朝が全土からかき集めた穀物倉庫と塩の倉庫が数珠球じゅずだまのようにならんでいるのである。の敖倉ごうそう安邑あんゆう根倉こんそう、おなじく涇倉けいそう。穀物以外では黽池びんちの塩倉、さらには洛陽らくよう宣陽せんよう皮氏ひし夏陽かよう といった町々には国家管理の鉄が集積されている。
鉄はともかく、その西方の穀物と塩をおさえれば、百万の流民の胃を満たすことができ、その流民の半数が若いとしてこれに兵器を、持たせれば秦軍を容易に撃ち破ることが出来る。
ところが、秦はそれを放置しているわけではない。章邯将軍は、その西方の倉庫地帯にあって右の倉庫群を守るために大軍を擁しているのである。ときに展開し、ときに結集して守備し、ときに遊撃軍をうち出して彼ら官軍のいう土匪軍を打ち砕いている。陳勝もその倉庫群をつかみ取ろうとして章邯の大規模な反撃をうけ、こなごなに打ち砕かれてしまった。要するにこの倉庫群さえれば天下を得たようなものであった。しかしそのためには章邯の大軍と決戦しなけらばならず、それには兵数が足りず、項梁のなが思案は、この点でゆきつもどりつにあったといっていい。
項梁の本営は、依然として東(魯の地域)にある。
下邳かひから胡陵に根拠地を移したが、たちまちそのあたりの食糧を食い尽くしてしまった。
どの地方が食糧が豊かということについても、項梁は多くの探索者を派遣して情報を集めている。その結果、
── そつがいい。
と、彼は判断した。
これにより、薛に向かって大軍が移動しはじめた。この大流民団を率いて食い歩くということで、段取りを少しでも誤れば一軍が飢民きみん化し、戦わずして項梁は亡びてしまう。移動しながら、項梁はひそかに、
(おれの長思案も、そろそろやめにしたほうがいいかもしれない)
と、思うようになった。決戦への待ち時間を稼ぐのもいいが、長びけば諸方を食いつぶして自滅してしまうのではないか。
2020/01/02
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