~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
楚 の 武 信 君 の 死 (九)
項梁は、将軍たちを率いて、あたらしい王のしんせつの城門で迎えた。この王を、
かい王」
と呼ぶことは、あらかじめ宋義や范増はんぞうはかって一致していた。心の祖父である最後の楚王の呼称である。天下へ周知させるのには既成の名のほうが都合がいい。
懐王を、かつての県の庁舎に迎え、ここを宮殿とした。
この擁立早々に、項梁が驚かざるを得なかったのは、宋義が王のそばに侍立じりつして離れないことだった。
侍立している以上は、宋義はあたかも旧楚の令尹れいいんである。人々も令尹として礼遇し、宋義もそのつもりでいるらしい。なによりも、勅旨を伝えるのが宋義の役目であるというには、項梁も閉口した。
たれが決めたものでもない。楚では、古来そうであった。項梁がうかつにも王を迎えてから気づいたことは、貴族というものは王を戴いてはじめて貴族であるという平凡な事実であった。
王が来ると、厄介なことが多かった。王が、ちょうに立つ。百官は朝衣朝冠を着して参賀しなければならない。今は戦時下にあって王も戎装じゅそうしなければならないためかならずしも平時のようでないにせよ、ながく野人であった項梁の感覚からするとじつに繁文縟礼はんぶんじょくれいというほかなく、わが祖先たちはこういうことをやって日を過ごして来たのかと驚くばかりであった。考えてみると、貴族たちが王を奉ずるということは尊厳の演出であり、礼は簡素であったはならない。それらのこまごまとした礼の復活は、かつて式部官をしていた老人が担当した。
(えらいことになった)
と、項梁は思ったが、それ以上に厄介なことが起こった。王は百官を率いねばならぬということである。百官を大急ぎで作らねばならなかった。
(范増め)
と、この時ばかりは、項梁が、ほとんど賓師のようにして敬愛しているこの老人を憎んだ。范増が要らざる智恵を自分に吹き入れたために、あたかもばけもののようなものを引き込んだことになる。
項梁は、放浪のころが懐かしくなった。少なくとも王がやって来るまでは、項梁軍の体制は野戦本位でたてられていて、面倒な事は少しもなかった。
ともかくも百官を作らねば朝廷の儀式が出来ない。儀式が無ければ朝廷ではない。儀式の基本は序列である。王の前でならぶのに、尊卑の順がある。
「まあいいじゃありませんか」
范増が項梁をなぐさめた。
「我々の方は、陳勝ちんしょうが王を称したようなものではないのです。真の王というものは真の官を率い、真の礼を用いてはじめて成り立ちます。
2020/02/03
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