~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
宋 義 を 撃 つ (四)
もっとも、范増の底意地の悪い観察などは、項羽には無縁のことだった。
項羽自身、項梁の死をくくと同時に、勝敗どころか戦場そのものを維持する事すら不可能になった、と見、ひそかに退却を決意していた。項羽は、范増が見るよりははるかにすぐれた若者であった。彼は今ここで叔父の死を聞いてあたふたと退却しては、全軍の士卒の士気にかかわると思った。さらには死んだ叔父の偉大さが残るのみで、あらた死者の地位を継承せねばならぬ項羽自身の存在が軽くなってしまう。この配慮は、軍隊維持のために必要だった。ひとつ間違えば、項梁の敗死を聞いて全軍が風にさらされた灰のように散ってしまうかも知れないのである。
項羽が范増に対して即答を避けたのはそのような理由もある。さらには項羽は顔にこそ出していないが、范増に対し多少の不満も、右の理由の中に混じっていた。項羽にすれば、この范増という気むずかしい老人は、軍師として叔父のそばに居ながら、これを定陶で敗死させた。
(なんというやつだ)
と、項羽はひそかな腹立ちを范増に向けた。
そのあと范増は古びた草履ぞうりを他の草履にはきかえるように、洒洒落落しやしやらくらくと項羽のもとにやって来て、頼みもせぬのにみずから軍師に任じ、様々な事を助言する。
(なんという老人だろう)
と思いつつも、項羽の胸の肉は厚く出来ているらしい。彼は、倨傲きょごうとも厚顔ともつかぬ范増という私心のない老人の存在に可笑おかしみを感じていたし、むろん可笑しみには好意も敬意も混じっていた。このため定陶の一件を荒立てて責める気は毛頭なかったが、かといって叔父を敗死させたことに、わざわざ労を謝するわけにみゆかず、要するにこの時期の項羽は范増に対し、挨拶に困るといったふうの不透明な気分を持っていた。この項羽の不透明さが、才智だけで物事を見る范増の目から見れば、
(やはり、叔父より数等劣る人物だ)
という感想になっているのであろう。

ともかくも、この場の項羽は、劉邦に感謝した。
項羽はしばしば秦軍に勝ち、そのことによって彼の存在が士卒の間で輝かしいものになりつつある。その彼の口から退却を言い出し難いという事情があったのに、劉邦がわざわざそれを言いに来てくれた。
(おもしろいおやじさんだ)
と、項羽は思わざるを得ない。彼は劉邦という男が嫌いではなく、なにか、自分とは全く違う仕組みの男だと思っていた。劉邦は彼と違い、しばしば秦軍に負けているが、負けるよいう事によほど鈍感なのか、いくら負けても、大きな片頬に小鳥の糞のような白い微笑をたえずくっつけて、顔色の変わることがなかった。ともかこもこの負け馴れした男が、大きなひざを屈して、このたびは退却したい、と言ってくれたおかげで、項羽の自負心が傷つかず、さらには楚兵たちの項羽に対する失望を買うことからまぬがれた。
(無能の相棒というものほど大事なものはない)
という、道理の微妙さを項羽が感じたかどうか。爾来じらい、友軍である劉邦軍の弱さのおかで項羽軍の士卒たちはこれをわらい、みずからを精強の軍と思い、ときに崩れそうになっても、 一蹶いっけつして敵を破った。さらには、劉邦という、田舎の駐在所の巡査あがりの弱い大将が同僚にいればこそ項羽の武勇がきわだって人々に印象された。劉邦とその軍は、項羽とその軍を引き立てて、励まし、強者にするために存在しているようなものであった。
退却の時も、そうであった。
弱い劉邦軍が先ず東へ去り、項羽とその軍は困難な殿軍しんがりを買って出た。項羽は劉邦を安全な後方に逃がした後、敵と戦いつつ徐々にひきさがった。
このおかげで、項羽は退却戦にも強いという評判が立った。
2020/02/11
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