~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
宋 義 を 撃 つ (十一)
この命令が、宋義の口から発せられた時、項羽は激怒した。
「次将軍というのが、気に入らないのか」
と、懐王があわてて言ったが、項羽は懐王のほうには目もくれず、宋義の目を見すえつづけた。項羽の燃えるような視線が、宋義の顔からくびすじに移った。宋義の頭は栗を思わせる。なみよりも小ぶりであったが、そのくぁり頸がふとんを巻きつけたように太く、気味悪いほどにやわらかそうであった、宋義は思わず、頸につるぎの冷たさを感じた。
御前ごぜんである」
宋義は、項羽をたしなめた。
項羽はしばらくだまったが、やがてこぶし・・・をあげ、
「なぜ、わしを関中に進ませぬ」
と、言った。
一座の者達は、それが項羽の怒りの言葉だと知った時、意外な思いがした。常識としては鉅鹿へ行く主力軍に属する方が軍功が大きく、別働軍は好ましくない。関中へ直進するといっても、それは敵の章邯をくらますための称号であり、内実はおとり部隊というべきで、その程度の実力と役目しか持っていない。関中へ真先に入るという志望を項羽が持っていたとしても、主力軍に属している方が、その可能性が大きいのである。項羽にはそこがわからなかった。
懐王は、王の権威にかけて、項羽のこの不服を聴かなかった。さらには項羽には、襄城じょうじょうで住民までも大虐殺した前歴があり、この場の諸将は、項羽が別働隊を率いる場合、それを再演するかも知れぬ事を怖れた。もう一度あれをやられては、楚軍が民心を失い、自滅せざるを得ない。諸将おのおの立ち上がって、項羽をなだめた。
宋義は項羽を無視し、さらに勅命を読んだ。劉邦をして別働隊の将たらしめる、というのである。
このとき劉邦は劉邦で、
(軽く見られたものだ)
と、思った。他の諸将も、その程度のにしか、別働隊の部署についての感想を持たなかった。
ともかくも諸将たちは項羽をなだめ、ついに范増はんぞうが項羽のそばに寄って、
「むしろ幸いとすべきです」
と、ささやいたため、項羽もいったんは怒りを鎮め、服することにした。

楚軍が彭城ほうじょうの地を発したのは、うるう九月の初旬であった。先鋒が動き始めた時は未明で、数万の炬火たいまつが星の数と競い合った。
劉邦が率いる別働隊は彭城の西のとうを、いわばひっそりと発したために、多くの人々はその出陣の景観を見ていない。
一方。
卿子冠けいしかん軍」と名づけられた宋義・項羽の軍容はこの日、泗水しすい平野を染めた朝焼けを圧倒するほどにさかんであった。卿子冠とは楚語である。公達きんだち── 貴族の子弟 ──のことをいう。かつて楚の令尹れいいんの家に生れた宋義がこれを率いるために、懐王がわざわざそのように呼称させた。沿道、密偵によって大いにその名称と軍容が、遠い鉅鹿の敵味方にきこえるように流布された。
この朝、露が繁く、しゃは車輪に露をはねながら轣轆れきろくと行き、従う騎も歩も、みな水をきぐったようにれた。宋義の車は中軍を進み、その周りは旗をひるがえした騎兵でうずめられ、遠くから望めば紅霞こうかがたなびくように思われた。
宋義が座乗する車は、水色のとばりがおろされている。この男は独りをつつしめないところがあり、帳の中では戎服じゅうふくしなどはぬぎ、冠もつけすに庶民同然のまりでいた。気の毒なほどに多食でもあった。ひざの上に塩づけの肉やほし肉などを置き、時かまわずに食いちらし、口辺にはえが舞っても払おうともしなかった。
「卿子冠さまのお車は、蠅だらけでございます」
と、范増の密偵が、彼に伝えた。
范増は最後尾の部隊を率いている。このたびの卿子冠軍の編成に当たって、将が不足していたために、本来項羽のそばにあって謀臣をつとめるべきこの男が、懐王から乞われて── というよりも宋義が范増を項羽から切り離すために ──末将として一軍を率いることになった。
しかし、范増は項羽の謀臣である仕事をやめたわけではなく、自分の部隊を指揮しつつも、項羽のために策を講ずべく諸方に密偵を放って情報を集めていた。ついでに味方の諸将のまわりにも密偵を置き、とくに宋義の動静を知ろうとしていた。
「蠅か」
范増はふしぎがった。閏九月といえば沿道の民家では冬支度をはじめるころで、蠅も少なくなっている。
その少ない蠅が、宋義の車にむらがっているというのは、尋常なことではない。
「どういうわけだ」
と、密偵に聞いた時に、宋義の食い意地のきたなさを知った。
「それが、卿子冠さまの正体というものだ」
と、范増は、歯のない口を大きくあけて笑った。
2020/02/22
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