~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
宋 義 を 撃 つ (十二)
宋義の本軍が、安陽あんようという町に着いた。
同名の町は他にもあるが、ここは後の地名でいえば山東省曹県そうけんに近く、その東に在る。彭城を基点とすればその東北、旅程にしてわずか五日ほどしか離れていない。町の規模は小さく、むろん県城ではない。宋義はこの小さな町に着くと、その麾下きかの大軍を宿営させ、どういうわけか、動かなくなってしまった。
「鉅鹿までははうかに遠い。彭城去ること数日で軍旅をとどめてしまったのはどういうわけであるか」
と、後続する項羽が使者を送ってその理由を聞いたが、宋義はそのつどに寛闊に笑い、方策はある、しかしわが胸にある、まかされよ、と言うのみで、きかなかった。十日を経た。
さらに、日が過ぎてゆく。
范増は、宋義のまわりの諜者をふやした。敵に対するよりも味方についての諜報を得なければならぬことをこの謀将は悲しんだ。宋義は商人が自分のをたたえるように口をひらけば楚への愛をとなえ、懐王への忠誠を熱情的に語るが、どうやら私心をくらますためのものであるらしい。彼は息子の宋襄そうじょう の就職のためにせいへしきりに使者を送っているようであり、斉からも使者がしばしば来ている。安陽は斉へは距離的に最も近いのである。
(これは大変な食わせ者だ)
范増はそう思うようになった。
しかし項羽に事実を以て告げるわけにはゆかない。項羽は関中かんちゅうの制覇のみを思い、心をいらだたせている。告げれば、宋義に対して何を仕出かすかわからず、場合によっては楚軍の崩壊につながるかも知れない。
兵士が飢えはじめた。
安陽などといった小さな町では秦の食糧庫もなく、近辺には農村も少なく、兵士たちはあらゆる村にたかっては食料をあさった。しかし、やがてそれも尽き、民がまず飢え、兵も食を得ることに苦しみ、そのうえ天が日ごとに寒くなってくる。
兵たちは、だんをとることに難渋しはじめた。安陽のあたりは広漠とした低湿地でろくに樹木もなく、兵たちはわずかな木を伐ってはそれを火にした。やがて乏しい木も尽きた。項羽は自軍の士卒を偏愛するところがあり、飢寒に苦しむ彼らを見て、宋儀への感情が日ごとにそぎ立ってきた、渋陣が四十六日目になった。項羽はたまりかね、宋儀の本陣へ行き、扉を蹴るようにして中に入り、宋儀をその家来たちの前でなじった。
「こんな安陽で、冬を過ごす気か」
項羽はどなり、
「なぜ、鉅鹿の戦場へ行こうとせぬ」
と言ったが、宋儀は黄色い顔色に微笑を大きくひろげて、
「魯公よ」
と、項羽を尊称で呼んだ」
「牛のあぶをご存じか」
と、言う。貴公は早く鉅鹿きょろくへ行って章邯しょうかんの大軍を攻め潰せ、とおおせあるが、しかし章邯は虻である、これを手でもって叩くだけでは、牛の毛の根に入っているだに・・やらしらみ・・・まで退治ることはできない、いま章邯はちょうの鉅鹿城を攻めているが、たとえ勝ったところで秦兵は疲れているであろう、われらは秦兵の疲れを待って攻撃すべきで、いまははやるべきではない。私は甲冑かっちゅうをつけて戦うことにかけては、貴公に劣る。しかしこのように本営の中ではかりごとをめぐらすことにおいては、貴公より上である、と言った。
項羽は窮した。それだけに、感情のほうが噴出し、
「兵は飢えている」
と、吠えた。にもかかわらず卿子冠けいしかんどのは斉からの使者を歓待して日夜酒宴を張っておられる、兵の苦しみをなんと思っておられるのか、とも言った。
「魯公よ」
宋義は微笑のまま言った。
「王から外交を任されているのは私であって、魯公ではあるまい。斉の使者を接待することは楚国のためである。なるほど、兵士の一部は飢寒のために不平を抱いているかも知れない。不平は楚国への愛情が足りないところから起こる。魯公はよろしく兵をいましめられよ」
と言い、項羽を突き放した。
その翌日、宋義は盛大な行列をつくって、城外へ出てしまった。そのことが城外の各地で宿営している諸将の耳に入った。
范増が驚き、
(なにごとがはじまったのか)
と、様子をさぐらせると、息子の宋襄を斉の宰相にするという宋義の交渉が成功したらしく、斉の使者と宋襄 を送るために無塩ぶえんまで出かけて行ったという。さらには次の諜者が戻って来て、宋義は無塩で盛大な送別の宴を張ったという。
(なんというやつだ)
と范増は思った。
2020/02/23
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