すでに冬が来はじめている。
項羽とその軍は、枯木の目立つ黄土の上を、北へ征った。行くにつれていよいよ寒く、空はいよいよ碧あおくなった。
項羽はこれまで一介の武弁ぶべんにすぎなかった。
(この男には、欠陥が多い。しかし掘り出したままの璞あらたまのようなよさがあるとすれば、そこだ)
と、謀将の范増はんぞう老人などは思っている。范増はさきの編制では一軍の将になったが、項羽が上将軍の宋義を殺してみずから上将軍になり、楚の野戦軍の総帥になったとき、望んで将を辞め、もとのように項羽の幕舎に入って、その知恵袋になっていた。
中原ちゅうげんは、沸騰している。
各地にあっては、かつての戦国期の旧王国が、それぞれ旧称をよみがえらせて割拠かっきょしはじめていた。
実体は浮浪人のような者どもが、あやしげな血筋の者を立てて王とし、みずからは侯になり、あるいはいったん立てた王を廃して他の者に替え、ときにはみずからが王になったりした。
范増は老いてはいたが、行軍中は必ず馬に乗った。ときに、
「馬よ、馬よ」
と、いたわりの声をかけて進ませたりした。そのあたりに范増の優しさがよくあらわれている。
「ああ、虚むなしいものよ」
大声でつぶやくこともあった。なにがむなしいのか、にわかに生はえ出た王国のむれが虚しいというのであろうか。
「王よ、王よ」
と、突如、独り言を言う時もある。この場合の王は懐王を指しているのではなく、出来星できぼしの王どもを複数で呼んでいるのであろう。
「われは汝らを王たらしめるために、馬上で雨に打たれているのではない」
彼は、老荘の徒であったかと思われる。
「われは、秦を憎む」
と言ったかと思うと、
「秦は作為なり」
とも言ったりした。法家帝国というのは人間のはからい・・・・しで出来たものだ、と彼はいう。人間がつくった法の網で、何千万の人間を小鳥のように搦め取っているだけのことだ、とののしるのである。
「これを潰せば、わが事は成る」
潰した後どういう国をつくるかは、この范増の仕事ではない、しかしなるべくは漁夫は沼沢に帰らしむべし、農夫はその田圃でんぼに憩いこわしめ、商人あきうどは市いちに居らしめよ、役人は刑罰の具を倉におさめて民の守もりをせよ、という。
馬上、歌うように『老子』に一節を誦することもある。
|
持てにもちて之これを盈みたすとも、其の已やめんには如しかず。揣みがきて之を鋭くするとも、長く保つ可からず。金王、堂に満つれば、之を能よく守る莫なく、富貴にして驕おごれば、自ら其の咎とがを遺す。功遂げて身退くは、天の道なり。 |
|
范増、倒秦という情熱に身をゆだめつつも、本質としては退隠と無私を理想とする陽性の虚無主義であるにちがいない
彼は項羽が宋義のような世間師じみた動きをしないことに満足していた。
項羽は王や宰相になろうとはしない。その身分は、楚の懐王の支配下の一将軍にすぎず、ただひたすらに野戦攻城に明け暮れている。范増はそういう項羽を粗玉あらたま(璞)のようだと思い、孫のような年齢のこの男に、可愛さまで感じている。
(項羽は、まったく何も知らない)
ということが、范増のように若い頃から天下を周遊し、諸国の政情や動向に情熱的に関心を持ってきた男のとっては、ときに噴ふき出したくなるほどであった。
(無邪気なのか、それとも天性、そういうことに関心を持てないたちなのか) |
20200224 |