~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
鉅 鹿 の 戦 (四)
(邯鄲の人間は、長耳・陳余の軍隊を怖れて面從しているだけのことだ)
と、章邯は見た。
かといって、邯鄲は城市としておそるべき物理的防御力をもっており、攻めるには至難といっていい城であった。高くぶあつい城壁が都市の内外を幾重にもめぐっており、いかに 懦弱 だじゃく な兵がここに 籠城 ろうじょう しても、大軍を何ヶ月も防ぎとめることが出来る。機動力を唯一の かせ ぎ方としている章邯にとっては、大軍を邯鄲に釘付けされることは作戦上の死にひとしい。
次いで、邯鄲については、章邯に気がかりがあった。たとえ長耳・陳余も軍隊をここから追っても、これだけの要塞だけに、たれかまたおここに入り込んで来て、この城郭をつかい、城郭によって強大な兵威を示す。
章邯は決心し、いったんは必要以上の大軍を繰り出して邯鄲を囲むかたちをとった。ただし、一方は開けておいた。
この時期、陳余は他にいた。張耳だけが趙王を奉じ、守備隊を握って邯鄲城内にいた。
張耳といい、陳余というが、彼等はその前歴である戦国末期の遊説家ゆうぜいかの型から多くは出ておらず、戦場の経験に乏しかった。かつて旧趙の地をあらたな版図はんとにしたときも、武より口舌をもってし、
「戦わずして旧趙の三十余城邑じょううゆうを手におさめた」
というのが、彼等の自慢であった。
張耳は、地に満ちた秦の旌旗せいきを見て、まず戦うことの無意味を考えた。次いで自らを納得させ、言葉を尽くして他にも説き、そのあと、趙王をかつぎ、風をくらって北へ逃げてしまった。
章邯には、そういう結果は計算済みであった。
「彼らは、北方の鉅鹿きょろくへ逃げ込むだろう」
と、章邯は予言した。すぐさま三次にわたって軍団を北に発向させた。その北上軍の上将軍は知略で知られた王離おうりである。次いで猛勇で聞えた蘇角そかくが中軍を率い、さらには秦がまだ王国であったころからの生き残りの老将渉間しょうかん殿軍しんがり を率いた。
章邯はことさらに主力軍を手許に残し、城内に駐屯し、邯鄲二十数万の市民をことごとく河内かだいの地に引っ越しさせた。
── 不殺ころさず
という命令を秦兵に徹底させ、市民からその面の不安を取り除き、ともかくも二日ほどで都内をからにしてしまい、あとは兵のほか人夫を徴発し、数万の労働力を使って城壁という城壁をことごとく壊させた。
邯鄲を消滅させたのである。
まことに章邯のやり方は徹底していたといっていい。
ついでながら、現在の邯鄲は人口四十万ちかい都市だが、漢になって再建された時を出発点としている。趙時代の邯鄲は現在の同名の都市の南四キロの地にあって、地名は「趙王城」といわれる。
当時の広大な土城が今もなお残っているが、ただし章邯が崩した多くの箇所は、野になっている。
20200228
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