~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
鉅 鹿 の 戦 (七)
陳余は、鉅鹿城内にいない。
彼は、かつて秦に内通してさきの趙王をしいした李良りりょうという趙の将軍と戦うべく野戦軍を編成し、これを破って李良をはしらせた。このため、まだ趙軍が邯鄲かんたん城にいた段階から張耳とすでに別行動をとっている。趙王と張耳が鉅鹿城に逃げ込んだ時も、別方面にいた。
鉅鹿城が急を告げているとき、陳余は北方の常山(河北省)という土地で兵に食を与え、勢力を養い、ここで数万の新しい兵を得た。張耳からの救援の密使は、陳余の常山城へ何度も来た。そのつど、すぐ参る、張耳どのによろしく、と言ったが、容易に腰をあげなかった。
権力は、ときに人間を魔性に変えてしまう。この時の陳余がそうであった。
(趙王も張耳も、いっそ鉅鹿で死ね。・・・・)
という蠱惑こわく的なささやきが、陳余の心をとらえはじめていたかと思われる。
鉅鹿の戦場の周辺まで応援に来ている代、燕、それに斉といった国々の派遣部隊長も、
── 肝心の趙の野戦軍が来なくて、なぜ自分たちが手を砕いて救援せねばならないのか。
と、不平を鳴らした。
陳余は疑惑の的になった。しかし催促にたまりかねてようやく動き、わずかに南下した。しかし鉅鹿の北方の要害まで来ると、動かなくなってしまった。
張耳・陳余といえば、かつて趙やの土地では、必ず両人の名をならべて言い、すでに伝説化したほどに仲が良かった。秦の盛時、首の懸賞金のかかった彼らが先行しているときも様々な佳話があり、人口に膾炙かいしゃしていた。本来なら義兄弟になるところだが、齢に開きがあり、張耳が上だった。このため陳余は張耳を父としてつかえ、張耳は陳余を子供以上に愛するという世間の例に少ない義盟を結んでいた。
が、いま義父は右丞相じょうしょうになり、義子は大将軍になっている。彼らの志は、半ば得た。が、そういう世俗の栄達が彼らの初志であったかどうか。
「秦を倒す」
という、当時やや現実を超えた、その意味では多分に形而上的でさえあった目的が、貧時の彼らを高揚させ、苛烈なほどの友情を成立させてきた熱源sであったはずであった。もっとも当時の彼らの表皮をいでしまえば要するに栄達からはずれたという不遇感が彼らを志士にしていたのであろう。その不遇感が彼ら二人を熱烈な友愛の人にし、あるいは秦を罵り、天下の蒼生そうせいを憂える徒にしてきたといえるかもしれない。その証拠に、いったん趙の重職につくと、皮をいだように本来のなまな自分にもどってしまった。その人変わりのしぶ・・りは張耳においてやや薄く、陳余においてははなはだ濃かった。
(おれ自身が、趙王にならなくて、どうなる)
というあらたな執念が、陳余の思考と行動を、奇怪なものにしはじめている。現在の趙王など、両人が路傍で拾ってきた男に王冠を戴かせただけで、事が成れば追うか殺すか、どちらかの始末をせねばならんくぁい。そのあとの候補者は両人である。張耳は年長であり、かねて陳余自身が父事ふじしてきている。自然のいきおいとして張耳がんある。権力欲という魔術的な鉗子かんし脳袋のうたいをつかまれてしまっている陳余は、考えるといえばそういうことしかなかった。ところが、事態の急変は、陳余にとって最も魅力的な情景を眼前に展開させている。ゆくゆく邪魔者になる趙王と張耳が一ツなべに放り込まれ、秦の将軍章邯が、鉅鹿の郊野を鍋にし、火をもって煮あげているのである。
陳余としては、ひそかに笑って見捨てておけばよかった。
20200302
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