~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
鉅 鹿 の 戦 (十)
北進するにつれて、鉅鹿きょろく平野の状況が明らかになってきた。
この野における秦軍は、二十余万である。
それに対し、城外のあちこちに塁を作っている諸国の応援軍は、五千とか一万二千という単位で、城内の兵力とあわせても八万に達しない。
項羽の軍は七万である。
(とても勝ち目はない)
と、范増は見、なにか意外な策はないかと行軍中も腐心ふしんしつづけてきた。この時代、戦いは敵味方の兵数の差で決する。味方の兵数をふやすことが将帥の仕事であり、このため、戦いの前に外交上のあらゆる策を弄した。范増の思案もそこにあったが、しかし天下に兵という兵が尽きてしまって、策の施しようもない。
もっとも、士卒たちはそういう状況を知らなかった。士卒に対しては、ふつう敵の兵数を過少に数える。さらには軍中、敵味方の強弱を論じてはならないというのは、どの軍においても慣習的な軍法として用いられており、項羽軍にあっても、このことは徹底していた。敵味方の強弱よりも、
──ちょうの野に早く行こう。
ということのほうが、楚兵たちの意識に多くを占めていた。趙に食があっる。楚兵は元来陽気を好み、物事を深刻に考える事が得意でなかった。彼らは歌を好んだ。行軍中、湧くように合唱するのは楚人のくせ・・で、北方の軍隊にはあまり見られないところであった。
范増は、章邯しょうかんが築いた甬道ようどうも苦のたね・・であった。それに関する詳しい情報が入った時、范増は項羽の宿舎へ行き、枯れ枝を折ってその形状を示した。
「章邯の強さの多くは、この甬道に負っています」
とまず言い、戦況論を展開しようとした時、項羽は話の腰を折った。章邯軍の強さは甬道にある。甬道をこわせばいいではないか、と言ったのである。
こわすのだ」
「しかし」
こわせるようなものなら、たれも苦労はしない。鉅鹿城外の諸国の派遣部隊が、すこしで甬道に近づこうとすると秦軍が襲いかかって来る、と范増が言ったが、項羽は枝葉の話は聞かず、
「こわす、それだけのことだ」
と、言い、さらに、方法としては、かつ戦いこわすのだ、と言っただけだった。壊すためには、各軍とも土工部隊を連れて行く。この作戦で范増がやったことというのは、この土工部隊の手配ぐらいなものであった。
20200305
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