~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
鉅 鹿 の 戦 (十三)
項羽は黄河の河畔の低い地形からやって来た。
戦場の南端に達して前方をのぞんだ時、しだいに高くなって行く地形の中央に色牛がうずくまったような大きなおかがあるのを見た。冬枯れの草が、牛皮のような色で土をおおている。蝸牛阜がぎゅうふともいうべきその高地に秦軍の一隊の大将の本営があるらしく、無数の旗が、北から吹く風の中に翻っていた。
項羽はゆっくりと戦場をた。
彼の網膜に、どれだけ稠密ちゅうみつな思考が裏打ちされているのかよくわからないが、視るという動作だけで両軍の戦士たちと自然がつくりあげている勢いの濃淡、高低、あるいは本質がわかるようであった。項羽はこの高地が欲しくなった。
欲するのと行動するのとが一つだった。すぐ砂塵をあげて駈けた。彼の軍勢は主将のこの行動におどろき、彼に追いつくためにいっせいに駈けた。やがて海が逆巻くような勢いになり、たちまち臥牛高地へ押しあげ、山上の秦兵を追い散らしてここを占拠した。
その直後に秦将の蘇角が戦場に到着した。すぐさま、
「なぜあのおか・・を敵に与えたのか」
と、逃げて来た一将を、みずからの手で斬った。この大陸の軍法として、戦線指揮官は後方からきびしく監督されており、負けるか、失策しくじるかすれば、たちどころに処罰されても、やむを得ぬこととされていた。
この段階から、戦いが激しくなった。
秦軍は、地勢として全力展開が出来ないとはいえ、圧倒的に大軍であるために、大網を打って小魚の群れを捕るようなゆとりがあった。楚兵は一般に背丈が低く、動きが敏捷という事もあって、まことに急流に棲む小魚に似ていた。秦兵の戎装じゅうそうは黒く、ずっしりと大地一面を覆い、うねるように動いて行く。その黒い渦の中を、赤っぽい戎装の楚兵が渦にからめとられるようにして動き続けた。
阜の上から見ればそういうぐあいだったが、楚兵一人一人の顔というのは、脳袋のうたいに電流でも流し込まれたように、人間の形相ぎょうそうであることを失っていた。たれもが狂ってしまっており、秦の大軍に接しても、恐怖を感じないらしかった。秦軍は楚人たちをこまぎれに分断して、ひときれず大まかに囲み、まわりから矢を射たり、いっせいにほこを突き出したりして殺してゆく。が、殺す方の秦兵の方が次第に楚人の狂気が怖くなってきた。
秦軍は包囲をねらうために、あちこちで無数の渦巻形の運動を繰り返している。
それに引き換え、楚兵の行動は短い直線運動しかなかった。包囲環を、きりで突き破るようにして内側から突破すると、すぐ引き返して来て、包囲環を外側から破った。この運動を九度繰り返した隊もあった。しかしいずれは疲労と兵力消耗で楚軍が全滅することは確実だった。

信じ難いほどのことであったが、寡少かしょうな楚軍が文字通り死闘している戦いを、諸地方の援軍はただ見物しているだけであった。彼らのそれぞれの塁に、たかい樹か望楼があり、見張りの者が戦況を遠望してはその下にいる将に報じていた。その動作を繰り返しているだけで、どの塁も楚軍に手を貸そうとはせず、息を詰めて時の過ぎるのを待っていた。
これについては、複雑な理由などない。彼ら中原ちゅうげんの諸国の兵にとっては荊蛮どもが狂っているとしか思えなかった。敗れることは自明であるのに、無用に兵を出して皆殺しの巻添えを食うなど、多少とも脳に知能が宿っている者なら、するわけがないと思っていた。ひるがえっていえば、項羽とその楚人たちがやったことというのは、それほど度外れたことであった。
20200307
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