~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
鉅 鹿 の 戦 (十四)
項羽は臥牛高地の上に突っ立っている。
この男も、生を忘れてしまっていることは、配下の楚人とかわらない。項羽もまたひとなみな計算ができる。この戦いについては、
(おれが死ぬだけのことだ)
と思っていた。
いくら項羽でも、ばくち・・・ともいえないこの資金もとでなしの作戦をやってのけて、勝てるとは思えなかった。
が、このとき、そういう計算とは別の次元で、この男は呼吸していた。ともかくも項羽は、この戦いにあっては自分がやるのでなく、おのれの中から鬼神がはじけ出て、それが物狂いつつ秦兵に立ち向かって行くのだ、と思っていた。その意味では、本来の項羽はすでに死んでおり、鬼神だけが前に出ていた。死を怖れる本体が死んでいるために、風が五体を吹きとおってゆくようなすずやかな気持ちで眼下の戦況を見下ろしていた。
やがれ、彼は動いた。
一鞭いちべんして馬をいからせ、岩石を蹴ころがすようにおかを駈けおりた。これについても、どの程度の計算が働いていたか、よくわからない。
それよりも以前に、予備隊五千を范増に預けておいた。項羽が将らしいことをやったのはそれだけであった。あとは、ただ駈けた。項羽がこの異常な行動を起こすと、臥牛高地の一斜面を覆っていた楚軍の本隊が、斜面そのものが山崩れをおこしたようにしてあとを追った。
項羽は、高地から戦場を望んでいた時、一個の人間を見た。
(あいつを殺す)
と、彼は思っただけである。
その者は大兵たいひょうの身を黒い革の戎服じゅうふくうで包み、黄金こがね色のかぶとをいただき、黄金の金具を無数にきらめかせて馬上にあり、多くの旌旗せいきに囲まれていた。
蘇角そかくである。項羽は地隙ちげきを跳び越え、あるいはその底へ駈け降り、さらには駈けのぼり、むらがる秦兵を叱咤してしりぞけつつ一直線に駈けた。項羽は、軍装において白を好んだ。白銀の盔、白革の戎装、それに灰色の馬を駈けさせていた。このため秦軍の中を白光がつらぬいて走るような印象をたれもが持った。
この白く輝く塊が、突如眼前に来た時、個々の秦兵たちは、敵としての能力を失った。まさか敵将とは思えなかった。一瞬ながら催眠状態が襲い、ただすさまじく旋回している迫力にされ、夢中で避けた。自然に真空のようなものができた。秦兵たちが項羽の疾走のために道を空けたのである。道を空ける秦兵たちは、どの男も表情をうつろにしていた。
蘇角の周囲の者も、それらの秦兵たちと変わらなかった。蘇角が気づいた時は、項羽が眼前にいた。飛び込んで来た項羽の馬が騎乗の蘇角に激突しそうになった。蘇角はおどろき、この異変が何であるかわからにままにとっさに身をかばい、左ひじをあげた。一閃、項羽の剣が、蘇角の頭上に落ちた。まずそのかぶとを割った。二閃したときは、頭蓋が割れていた。
その背後で、秦軍が崩れた。楚軍が項羽と同じ勢いで突入して来た。項羽はほこを執って前後左右の秦兵をたおすうちに、まわりが急に明るくなった。秦兵の密度がみるみるまばらになり、総崩れにくずれはじめた。
この時代、主将を失うと、全軍が崩壊する。兵にとって主将は単に指揮機能ではなく、その存在が軍そのものであった。その存在が消滅すれば軍の構成も消滅するのである。
臥牛高地から范増はこの崩れを見て、予備隊のすべてを突撃させた。苦戦していた黥布げいふも勢いをもりかえして反撃に出た。范増は秦軍に対し、
「鉾を捨てよ、くだれ、降れ」
と、わめいてまわった。七十翁の声とは思えなかった。衆にも唱和させた。この范増の処置は、楚軍をも救った。敵は崩れたとはいえ、大軍であり、後方の王離おうり渉間しょうかんがやって来ればまた勢いを盛り返すかも知れない。
范増はまことに巧妙だった。秦兵は、救われたように兵器を投げ出し、地にすわった。それらを、 将軍と当陽とうよう君が管理し、南方へさがらせた。
楚軍は、ほんの三十分ばかり休息した。その間に甬道ようどうに放り出されてあったたるを割って塩漬の肉を食い、水を飲み、疲労を回復した。
やがて秦の王離の軍が戦場に着いたが、蘇角軍が降伏したことを聞いて浮足立った。
項羽は、全軍に突撃を命じた。この時も、みずから剣を揚げて先登せんとうはしった。楚軍にとって項羽は軍そのものであるため、これを死なせるわけには行かなかった。
激突し、斬獲し、さらに乱戦の中で、鶏でもつかまえるように王離その人を捕えてしまった。
その混乱の中で秦の渉間の軍が到着したが、味方の惨状を見て戦わずして潰走しはじめた。渉間は叱咤してこれをとめたが、いったん恐怖を起こしてしまった軍隊を立ち直らせるのは、決潰した河を素手でささえるよりも困難な事であった。渉間は、数騎とともに戦場に取り残されてしまった。
この秦将はまわりの数騎に対して退却を命じ、かたわらの家に飛び込み、火を放って焼け死んだ。ほんの数刻前の秦軍の軍容を思えば、信じ難いほどの事態といっていい。
そのあと、戦場は、ひざを折ってすわる降兵で満ちた。
20200307
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