~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
月傾きぬ (四)
一座の間には、変わりやすかったこの数日の天候のことがひとしきり話題になった。
「それでは猟の方も成果に乏しかったであろう」
高市が言うと、軽皇子はうなずいたが、
「それでも野兎のうさぎやら、鹿やら・・・。私も鹿を一頭射止めました」
「それは見事な」
「もっと天気が良ければ、と皆も申しておりましたが」
「あそこは山も近いゆえ・・・」
と阿閉が相槌あいづちをうった。
「この辺で降らなくても、吉野の峰の雪が吹きつけてくるのです」
その時、女帝が静か間声で皇子にたずねた。
「吉野の峰は見えましたか」
「はい、わずかなれ間がありまして・・・・」
それなり、ふいに一座の声が途絶えた。
重い沈黙だった。
人々は、わざとから顔をそむけ、それぞれの思いにふけるかのようだった。ややあって、沈黙を破ったのは、女帝の静かな声であった。
「皇子」
「はい」
「そなたの父の皇子も、そなたと同じ十一のとき、安騎の野をお通りになりました。あのとき、私たちは、そなたの見た吉野の山の中から出て来たのですよ」
御名部と阿閉がうなずいたとき、高市がぽつりと言った。
「二十一年めか、今年は・・・・」
氷高は一座のただならぬ沈黙に身を固くしている。今度の遊猟がいかなる意味をもって計画されたかに気づいたのだ。
大人たちは壬申の戦の日々を思い出しているのだ。とすれば、今度の安騎野への遊猟行は弟の軽に、その日を体験させようためではなかったか。
671年、近江の天智帝とたもとを分かって大海人おおあまの皇子みこは吉野にこもった。そして、兄の天智の死後、近江勢力と対決すべく、吉野をったのが翌年六月 ──。
ひそかに、そして全速力で東進し、やっと小休止したのが安騎野だった。そしてその総帥そうすい大海人こそ、彼女たちの祖父、後の天武なのである。一行の中には、鸕野うの讃良さららの皇女ひめみこと呼ばれていた持統もいた。そしてまだ十一歳だった氷高たちの父草壁もいた。
自分たちの生まれる前の、激しかったこの時の戦いとその勝利について、氷高は何度聞かされたことだろう。中でも勇敢だったのはいま太政大臣の座にある高市だった。
── 高市の伯父さまは十九歳。近江側を脱出して、お祖父さまをお助けしたのだわ。
亡き父と同じ年になった弟を、その思い出の安騎野に立たせたい、と思ったのは多分お祖母さま ── と思ったとき、氷高は母の声を聞いた。
「お父さまは安騎野がお好きで、あれから度々狩においでになったのですよ」
思い出したように軽皇子が上衣の懐をさぐった。
「そういえば・・・・」
取り出したのは、一枚の紙片だった。
人麻呂ひとまろが歌を献じてくれました」
「人麻呂? あの柿本かきのもとの?」
「そうです」
「人麻呂はお父さまのお傍に親しくお仕えしていましたから」
阿閉は、受取った紙片を女帝に献じた。人麻呂はすでに当代の歌人うたびととしてその名を得ている。筆太なその字は、女帝の一族にもすでに馴染なじみのものだった。
書かれているのは長歌一首と短歌四首、女帝から受取った御名部が読みあげた。
八隅やすみ知之しし 吾大王わがおほきみ 高照たかてらす 日之御子ひのみこ・・・・
輝く日の皇子みこ、軽皇子が泊瀬の山を越えて安騎の野に来られた・・・・というその歌をゆっくりと読みあげ、
「続いて短歌を」
一座を見廻して、御名部は言った。
阿騎乃野尓あきののに宿やどる旅人たびひと 打靡うちなびき 寝毛宿良目八方いもねらめやも 古部いにしへ念尓おもふに
真草まぐさかる 荒野者あらのには雖有あれど もみじばの 過去すぎにし君之きみが 形見きかたみ跡曾来師とぞこし
ふむがしの にに かげろひの たつ所見而みえて 反見為者かえりみすれば つき西渡かたぶきぬ
日双斯ひなみしの 皇子みこの命乃みことの うま副而なめて 御獦みかり立師斯たたしし 時者ときは来向きむかふ
2019/09/05
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