~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
和 銅 元 年 (一)
嵐の真っ只中に乗り出す形で、女帝元明の治世は始まった。
豊かな胸を張ってゆるやかに歩を進める物腰は以前のままなのに、
── お母さまはお変わりになった。
氷高は、そう思わざるを得ない。四十七歳の年齢を感じさせない、ふくよかな頬には、強固な決意を思わせるきびしさが漂いはじめている。
即位の数日後、元明はあざやかな手をうつ。授刀舎人じゅとうとねりの制度を新設したのだ。文字通り、太刀を帯びて身辺の警護に当たる彼らは、元明の親衛隊である。
「そなたたちを守るためにね」
その夜、内廷に戻って食膳についたとき、元明は氷高に言葉少なにそれだけ言った。そしてその言葉の短さの中に、氷高は、鋭い短剣のきらめきに似たものを感じたのであった。
元明の後継者はまだ決まっていない。文武の直系というなら、石川刀子とじのいらつめの産んだ広也ひろなり広世ひろよ不比等ふびとの娘、宮子所生のおびと ──。元明の直系というなら、氷高、吉備きび、そして吉備の子供たち。その誰をということは、たとえ内廷にあるときでも、口に出して言うことは憚られる現在だった。
その危うさの中で、元明は、翼をひろげる親鳥のように、まず身辺をかばうことから始めたのである。もちろん、制度的には、兵衛府ひょうえふ衛門府えもんふ衛士府えじふがおかれているのだが、それらは律令官僚気機構の中に組み込まれているし、しかもその中軸を握るのが、藤原不比等であってみれば、彼らの動きには期待できない。
そこで元明は、自分の直接指揮できる戦力を身辺に貯え、不測の事態に備えたのだ」。それはあくまで「兵士」ではなく、身辺の雑用に奉仕する舎人の中の何人かを武装させるのだ、という形をとって・・・・。
電撃的なこの早業に、さしあたって不比等は沈黙を守った。元明の身辺の武備が整えられてゆくのを見守りつつ、
「それは結構なことで」
妥協的な態度をしめしたのは、しばらくしてからである。
「このような世の中では、御用心に越したことはございません」
靜に笑みを含んでそういったと言う。
氷高はその時の不比等の笑顔が想像できた。すでに五十歳、猪首いくびを肩にのめりこませたこの男は、眉毛がいよいよ薄くなり、下がり眼に湛えられた微笑は、気味が悪いくらいおだやかになっている。
── 何事も帝の仰せのとおり・・・・
といううやうやしげな態度に、近頃、氷高はかえってすきのない手強てごわさを感じる。これに対しては、先手を打って自分たちの防御ぼうぎょを固めるほかないという母親の判断が、痛いほどよくわかった。
政治は常に妥協である。妥協しながら、要は最後に何を勝ち取るかだ。元明も不比等もそのことはよく知り抜いている。心に秘めた野望が大きければ大きいほど、無用の刺激は避けて機を待たねばならない。不比等の音なしの構えはそれを意味しているのだろう。
一見平和に暮れたその年の翌年、正月早々に武蔵国から朗報がもたらっされた。秩父郡から自然銅が産出したというのである。持統の死から文武の死じぇと、暗い出来事の続いた当時、それは一陣の春風に似たよろこびの便りだった。
早速年号を和銅と改めよう。恩赦も行おう、武蔵の国のようと秩父郡の調ちょうようを免じよう、群臣の叙位も行おう・・・・。
元明の名によって発せられるよろこびの詔の準備に追われていたある夜、天武の皇子、穂積ほずみが、内廷にくつろぐ女帝の許を訪れた。
「この度の和銅産出は、まことにめでたいかぎりで・・・・」
彼は今知太政官事ちだじょうかんじという職にある。大臣とともに太政官を総括する役で、はじめ天武の皇子、刑部おさかべが任じられ、その死後、穂積が継承した。廟堂に皇族を加えていた伝統と、令制を妥協させたようなこの地位にある彼は、もともと元明たちと親しい関係ではない。穂積の母は蘇我赤兄あかえの娘、つまり石川麻麻呂系の元明たちとは立場を異にした存在だ。すぐれた歌人でもある彼は政治的にはさほど才走ったところはなく、刑部の死後、順送りに与えられたその座にただ坐っている、というような趣がある。
2019/09/20
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