~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
げん かん (二)
和銅七 (七一四) 年六月、遂に皇子首は元服した。それに伴う大げさな儀式と祝宴は、否応なく周囲に彼が皇位後継者であることを印象づけた。
「皇太子」
今は誰もそう呼んではばからない。
その翌年の正月、彼は正式の礼服らいふくを着け、大極殿だいごくでんでの儀式に参列した。服装を調え、冠を被った彼は、驚くほど父の文武に似ていた。病弱で線の細かった父の血を受けてか、彼もまたきゃしゃな体つきで、女のような色白の肌と潤みを帯びた瞳の持ち主であった。外祖父不比等の眉の薄い、下がり眼の面差しはどこにも受け継がれていない。
老臣たちの中には、あまりに文武に似た首の出現に心をゆさぶられた者も多かったらしい。
「おお、亡き帝の再来かと思うほどの・・・」
「このお姿を、亡き帝が御覧になられたら・・・・」
氷高には素直に成長を喜ぶ声を押し止める術はなかった。いや、それどころか、初々しくすがやかな十四の少年の面差に、
── まあ、あのころの弟そっくり。
心を打たれずにはいられなかった。
── 弟が安騎野あきのに狩に行ったのは、このくらいの年頃のことではなかったかしら・・・・。
その弟そっくりの少年の成長が、自分たちの存在を圧迫している。少年自身には何の悪意も感じられないだけに、戦いにくいいくさをしなければならないのかもしれない。このよき日にちなんでの位階の昇叙によって、二から一品に進んだ氷高の心の中は複雑だった。
彼女が内廷にくつろぐ母の元明に呼ばれたのは、それから一月余り後のことである。二月の半ば過ぎの昼下がり、前庭では遅れて割いた紅梅が今盛りだった。
「よい匂いですこと」
元明の応えは鈍かった。
「え? 何のこと?」
「梅の花です、紅梅は咲ききってしまっても匂うのですね」
「あ、そう、紅梅が咲いていて?」
ものうげにそれだけ言った。
── お母さまはお疲れなのだわ。外の景色も眼に入らないくらいに・・・・。
たしかに豊かだった頬にやつれが見える。
「お母さま」
氷高はひざまずき、その手をらずにはいられなかった。
「お疲れではありませんの」
「・・・・」
否定の言葉は、遂に母の口からは洩れなかった。
「少しお休みにならなくてはいけませんわ。御無理が過ぎるのでは? お急ぎでない政務は少し先にお延ばしになるとか・・・」
「ありがとう」
わずかにうなずいて母は言った。
「でも、代わりの者でつとまるというしごとではありませんから。それに政務は決して重荷ではないのです。ずっと続けてきたことですもの」
疲れさせるのは山積みした政務ではない。度々の敗北に打ちのめされながらも、顔色ひとつ変えずにいなければならないそのことが母の命をすり減らしているのだ。
「たしかに私も疲れてきていますからね」
呟くように言った元明は、氷高にゆっくりと眼を向けた。
「今のうちにしておきたいことがあるのです」
「それは・・・」
「膳夫のことです」
「まあ・・・」
吉備の産んだ息子たち、父の長屋からはあまり顧みられなくなっている彼らの行末のことを案じる元明の顔は、女帝のそれではなく。幼い孫の身を気づかう祖母の不安をあらわにしているように、氷高には思われた。
今のままにしておくと、彼らは諸王しょおうの子でしかない。系譜を辿れば、祖父は高市、曾祖父は天武だが、天皇の血を引いていると言っても待遇にはおのずから限界がある。
「だから ──」
と元明は言う。
「今のうちに、あの子たちを、私の孫として、つまり皇孫の資格をはっきりさせておきたいのです。父方を辿れば天皇の三世の子孫ですが、母方から見れば、吉備は私の娘、あの子たちが皇孫であることはまちがいないのですもの」
「そうですとも、お母さま」
氷高の答えにはおのずから力が入った。
「それを、そなたにも含んでおいてもらおうと思って・・・」
「わかりました」
「そなたも自分の子だと思って可愛がってやってください。よろしく頼みます」
「それはもう・・・」
元明の勅によって、吉備内親王の子供たちが正式に皇孫の待遇を受けるようになったのは、それから間もなくのことだった。
「これで少し肩の荷が軽くなりました」
元明の頬には安堵あんどの微笑があった。これによって、彼らは成人の後、有利な条件のもとに官界入り出来るはずである。
「もう、そのころは、私は生きていないかも知れませんけど・・・」
母の呟きを氷高は急いで遮った。
「そんなことを、おっしゃってはいけませんわ、お母さま」
「いいえ、時は移って行くのです。大伴安麻呂も亡くなりましたね」
安麻呂が世を去ったのはその前の年、その死を深く嘆き悲しんだの母の姿は、氷高の胸にあざやかに刻み付けられている。壬申の戦を共に戦った大伴一族の子孫として、母は彼をとりわけ信任していた。太宰帥だざいのそつの兼任を解き、都に戻らせたのも、廟堂における不比等の独断専行に対抗させるためだった。じじつ、安麻呂は右大臣不比等に次ぐ唯一の大納言として、元明の意志を代弁し、朝議の場では力いっぱいの活躍をみせた。
2019/09/26
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