~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
冬 の 挽 歌 (一)
思えば不可思議な予兆を覗かせながら始まった養老五(七二一)年であった。元旦は抜けるような青空だったが、三日目、突然、天を裂くような雷鳴が轟いて、都人を驚かせた。
── はて?
飛び出して天を仰げば、二日前と同じ蒼空を残しながら、夏雲に似た逞しさで、みるみる雲塊がふくれあがってゆく。春雷と呼ぶにはおどろおどろしいその響きに、顔色を変えた女官たちが耳を覆ってひれ伏す中で、しかし、女帝元正だけは、眉ひとつ動かしはしなかった。
すでに彼女の決意は決まっている。藤原不比等が世を去って五か月、母の元明太上天皇とひそかに練り続けて来た政治改革に着手する時は来たのである。
── いかに雷鳴が轟くとも、私の行く道はこれしかない。
五日、新しい人事が発表される、
正三位長屋王は従二位に進んで、大納言から右大臣に、左大臣は依然として欠員のままだから、彼が実質上の廟堂の統括者になったのだ。
── 藤原不比等に代わるのは、そなた、長屋王です。
女帝元正は、はっきりその政治姿勢を示したのである。これに伴って、中納言多治比池守が大納言に、さらに、弟の房前とともに従三位に昇進した藤原武智麻呂を中納言に任じたのは政治的配慮からである。
元正はしかし、事を荒立てようというつもりはなかった。長屋王主導のもとに協調を、そして国内の充実を、といのが基本方針だった。だから、新人事の発表に続いて、文武の官僚に自由な意見の上申を求めたし、学芸や技能に秀でた人々には、特別の褒賞を与えもした。大倭小東人とともに律令の改訂作業に従事している箭集虫麻呂、塩屋吉麻呂(古麻呂)といった法律の専門家もその中に入っている。不比等の死後、彼らの仕事は一層順調に捗りつつあった。
「今年中には無理かもしれませんが、来年には完成するでしょうね」
母の言明は、それを心待ちにしているようだった。故持統女帝が、文武と不比等に押し切られる形で撰定を許した大宝律令の改訂を行うことによって、蘇我倉山田石川麻呂の血を受けた彼女たちの無念は晴らされるはずであった。
── ほかのことは妥協しても、このことだけは・・・・
と、元明は思い定めているらしい。そんな話に触れる時、母が、ふと遠くを見つめるような眼をするのに元正は気づいている。異母姉持統とともに歩んで来た波瀾の一生を、改めて思い返しているのだろうか。
「御仏像をねえ、造ってさしあげたいと思うのですよ。天武と持統の帝の御為に・・・」と呟く時もある。安置する寺はもちろん薬師寺だ。はるばる藤原京から運ばれた薬師三尊を忠心に、金堂の移建は完成し、内部の荘厳もほぼ終わっている。
「持統の帝がお亡くなりになってから、来年は二十年ですものねえ」
元正はそう相槌を打ちながら、その二十年の風雪に耐えてきた母を改めてみつめなおす。豊かな肉付きで、ものに動じない貫録を示した母も、年老いた今は、ひとまわりもふたまわりも小さくなってしまった。
「工事を急がせましょう。御仏像も、お母さまの御発願として早速造らせます」
東塔の移建だけは間に合わないが、この地で新しく造られた付属の堂宇も、それまでには完成するはずである。そこで厳かな法会をいとなもう・・・・。元正は母と共に藤原京の面影を伝える金堂の階を上がる日を想像したものだったが、しかし、その光景は遂に実現しなかった。その後間もなく元明は体に不調を来し、夏の半ばには、床を離れることさえ出来なくなってしまった。
2019/10/02
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