~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
冬 の 挽 歌 (二)
食事が思うようにとれなくなると、元明の体は一段と小さくなった。が、元正には、その衰えが、単なる病のためだけとは思えなくなっている。
── お母さまは、精魂をかたむけて不比等と戦っていらしたのだ・・・・。
その相手がたおれた時、母もまた力き、立ち上がる気力を失ったしまったのではないか。
「お母さま・・・。」
ひそかな思いを込めて元正がその手をとる時、病床の母は無言でうなずく。あたかも、
── そうなのよ、そなたの思っているとおりなのよ。
とでもいうふうに、静かな笑みを浮かべて・・・・。
もちろん、大赦や読経など、元明の病気回復のためのあらゆる手段が講じられた。が、病状の好転するきざしはさらに現れなかった。中には右大弁うだいべん笠麻呂かさのまろのように、現職をなげうって出家入道し、平癒祈願をしたいと申し出る者もあった。それともう一人、県犬養あがたのいぬがいの橘三千代たちばなのみちよも ──。彼女については、
── いまさら忠義顔して・・・・。
という声も元正の身辺ではささやかれたが、元明はそれを強いて拒みはしなかった。それらの平癒祈願がどれほどの力を持つものかについて、元明自身、すげに無関心であるようにも見えた。
ただ、皇太子おびとが見舞いに来たときだけ、その瞳の色が激しく揺れた。元正に案内されて彼が枕頭ちんとうに立った時、一瞬、その瞳に輝きがあふれ、やがて、みずからその興奮を押し隠すように眼を伏せたことに首は気づいたかどうか。
「お祖母ばあさま、お加減はいかがでいらっしゃいますか」
その問いはどことなくぎこちなく、態度は相変わらずおどおどしている。元明は眼をあけると、首の顔をじっとみつめた。
「一日も早く、お元気になられますことを、お祈りしております」
紋切の型の見舞いにも、いつになくやさしくうなずき、
「ありがとう。よく来てくれました」
ゆっくりとそう言い、痩せ細った手をさしだした。首はためらいながらも、その手をそっと握る。
「早くおなおりになってください」
いくらかぎこちなさのとれたもの言いになっている。さすがに元明の瞳からは興奮の色は消えていたが、そのかわり、どこかけだるげな、うっとりした眼差しが、じっと首に向けられ、一礼して帰るまで、遂に視線は彼を離れなかった。
首に扈従こしょうしてきた人々が姿を消すと、ふいに濃密な静寂が訪れた。ゆっくり元明の手が元正を求め、吐息に似た呟きが洩れた。
「似ていますこと」
「お母さま!」
元正は母の視線を求めた。眼差しはたしかに自分い向けられていたが、その瞳は、依然、うっとりといつつにもあらぬものをみつめているようだった。
「似ていますこと・・・」
ふたたび呟きが洩れた。
「聞き返すまでもなく。微笑が母の顔に浮かんだ。
かる(文武)です。皇子そっくりです。あの子は」
「・・・」
「あの子が入ってきたとき、私は、皇子が生き返って戻って来たのかと思いました。いいえ、黄泉よみの国から私を迎えに来てくれたのかと思ったのです」
「お母さま・・・」
元正は痩せ細った母の冷たい手を、しなやかな両の手の中に包み込むようにした。
── 何と弟に似ていることか。
今の、病床の母が、彼にわが子の再来を見たのは当然だ。すでに死と隣り合わせて久しい彼女は、あのとき、首の面影に重ねあわせつつ、ひととき亡きわが子との魂の合一を味わっていたのである。あのたゆたげな眼差しは、生死を超えた世界を見つめるものでなくて何であろう・・・・。
沈黙の時間が過ぎたとき、すでに元明は陶酔から醒めていた。代わっておの頬に漂うのはかつての日の女帝としての威厳 ──。ああ、それも、何と苦悩に満ちた威厳であることか。
わが子文武は、その期待に反し、不比等の娘を愛し、若くして死んでいった。そして忘れ形見の少年は、祖母にそむくが如く、藤原氏の手に護られて育ち、成人した今、ふたたび父と同じ道を歩み始めている。
母はこの魂を引き裂かれるような苦しみを、これまで一度も口にしなかった。いや口にすることさえ出来ないほどだった魂の傷の深さを、いま、元正は感じ取ることができる。蘇我倉山田石川麻呂の血を享けた母は、わが子文武が天武・持統の敷いた路線を逸脱することを、女帝としては許すわけにはいかなかったのだ。
そして母は皇太子に擬せられて首の即位を認めず、自分に位を譲った。そして首との距離はいよいよ離れていった・・・・。
母がいかに悲しみと憤りに魂をひき裂かれながら、それを決定したか・・・・。
── あの時も、お母さまは毅然としていらっしゃったけれど。
すでに首は成人して、皇太子の地位にある。元明とてそれを認めないわけではないが、太上天皇として、最後のぎりぎりの一点だけは、なおもわが手に保留して、あたかもこの事実を無視するかのような姿勢をしめし続けてきたのだった。
それがいかに苦しいものだったか、不比等との戦いは、また自分自身との戦いでもあったのだ。蘇我倉山田石川麻呂の血を受けた女として、女帝として」、人の子の母として、重荷を背負い続けて来た老いたる母が、病床にあって、ひととき幻覚にも似た陶酔に浸ったとしても、誰がそれをわらうことが出来るだろう。
しかし、それ以後、病床の母は二度と亡きこの子とも、首のことも口にはしなかった。そして秋が過ぎ、冬が訪れた。元明の体はいよいよ小さくなってきた。その彼女が、何かを思い決するように、
「右大臣を呼んで下さい」
と言ったのは十月十三日のことである。
2019/10/02
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