~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
ろう (一)
梢を鳴らす風の音が高くなると、平城京の東西に横たわる山脈やまなみの姿が、ひときわあざやかになる。
── この秋風は、堂内に満ちあふれるがくの音を、あの山脈の果てまで運んでゆくのだろうか。
ふと女帝元正は、蒼みを帯びた山脈の濃淡を思い浮かべる。
その日朝堂院ちょうどういんで奏でられている楽は、来日した新羅しらぎの使いをもてなすものであった。
養老七(七二三)年の秋、金貞宿を正使とする十五人の使いは、四年ぶりに入京した。じつは二年前の十二月にも新羅の使いは筑紫まで来たのであったが、元明太政天皇だいじょうてんのうの死の直後のことだったので、その意を伝えて大宰府で応接するにとどめ、入京しての儀式はなかった。
前回の養老三年の入京の折との著しい雰囲気の差に新羅の使いたちは気づいたであろうか。にこやかな笑顔で彼らを迎えてくれた元明太政天皇の姿を見られなかったのはもちろんだが、右大臣藤原不比等もすでにその席にないなかった。
あのとき、眉の薄い不比等の頬には、そつのない微笑が浮かべられていたものの、使いたちへの対応はひと通りの儀礼の範囲を出なかった。彼は上帝元正が新羅との交渉に積極的姿勢を示すのを、決して快く思っていなかったからだ。
が、今度は事情がまるっきり変わっている。不比等に代わって廟堂びょうどうの首班の座にあるのは右大臣長屋王だ。使いたちは両手もろてを上げての歓迎を受けた。朝堂院で盛大な宴が開かれ、楽が奏されたのはこのためである。
宮廷での儀式が終わると、帰国に先立って、彼らは長屋王の佐保の邸に招かれた。ここではさらにくだけた酒宴が催されるとともに、華やかな詩のやりとりが行われた。和歌をよくする長屋王は漢詩にもすぐれた才能を示し、これまでもたしなみのある官人たちをしばしば招いて詩宴を開いてる。こんなとき、長屋は佐保の邸を、ちょっと気取って、「作宝楼さほろう」と呼ぶ。 彼自身にも、 「初春、作宝楼ニ置酒チシュス」といった五言ごごんの詩がある。
新羅の使いを迎えて、この作宝楼では多くの詩が作られた。
   秋日長王ガイヘニシテ新羅ノマラヒトウタゲス  背奈王せなのきみ行文ゆきふみ
マラヒトミシテ小雅セツガウタムシロケテ大同ヲミス
流ヲ筆海ヒツカイヲ開キ 柱ニヂテ談叢ダンソウニ登ル・・・・
長屋王自身の作はこうだった。
   宝宅ホウタクニシテ新羅ノ客ヲ宴ス
高旻カウビン遠照エンセウ開キ 遥嶺エウレイ浮烟フエンタナビ
金蘭キンランシヤウヲ愛デテコソ有レ
風月ノエンニ疲ルルコト無シ・・・・
秋の空は高く、残照が照り映え、はるかな山脈やまなみには、はや夕靄ゆうもやがたなびいている。いまここに新羅の客を招き、金蘭の如き堅い交わりを愛しこそすれ、この風雅の宴に疲れることは全くない・・・。宴よ永遠なれ、新羅の客はやがて別れてゆくが、たとえ波路を隔てようと、それが何であろう。その友情もまた永遠である。
それは挨拶の詩であるとともに、長屋自身の思いを込めたものでもあった。この時同じく席に連なった藤原房前ふささきにも一首ある
・・・・山中猿吟エンギン絶エ 葉裏エフリ蝉音センイン寒シ
贈別ニ言語無シ 愁情シウジヤウ幾万端イクバンタン
山の中の猿の声も絶え、名残のせみの声は、むしろ寒々しい、と別れの悲しさを詠じたものだ。
房前は性格的には一番父親に似ているが、態度は柔軟である。新羅との交流が彼にとって好ましいものでなくとも、その気配は全く表さない。長屋も彼に微笑を送ることを忘れはしなかった。
「みごとなものだ、内臣の腕前は」
「いや、御褒詞ほうしは身に余ります。詩才はからきしです。弟の宇合うまかいにはとうてい及びません。今日は差支えがあって参上できずにおりますが・・・」
ぬかりなく弟を引き合いに出した。宇合は四人兄弟の中では武勇の人という評判が高いが、一面すぐれた詩魂の持主であった。
「いやいや、けいの力量も弟に劣らぬ」
言いながら長屋は、新羅の使いに房前の詩をさししめした。
「ごらんあれ、ここを」
最後に近い「贈別ニ言語無シ」はあきらかに唐代初期の有名な詩人駱賓王らくひんのの「贈別ノ意言無シ」を踏まえている。
「さすがとは思われぬか」
「いや、まことに」
新羅の使いも大きくうなずきかえす。房前はむしろどぎまぎしたようだ。
「あ、それは、その、ちょっとした思いつきでありまして」
遣唐使発遣のもたらしたものの一つに、わが国の詩風の変化がある。六朝りくちょう風から唐風へ ── なかでも王勃おうぼつ、駱賓王の作品が大きな影響を与えた。これら唐の詩人の作品を踏まえた詩を作るのはなにも房前にかぎらなかったが、折が折だけに、彼は気を廻したらしい。
── いや、私は何も唐風を振りまわそうというわけではありまあせぬ。
その眼はそう言いたがっていた。
元明の遺言に従って、皇太子おびとの即位はいよいよ実現に近づきつつある。この際長屋との間に事を荒立てたくない房前なのである。そして長屋も、この日、単に房前の詩才をたたえるにとどまり、それ以上のこだわりをみせる気配はなかった。
2019/10/04
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