~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
赤 い 流 星 (二)
運命は皮肉というよりほかはない。
結局、元正はその重病を切り抜けた。しかし回復して政務に戻れたのは、神亀四年も半ばを過ぎてからだった。そしてその間に、事態は一変していた。
まず官界での藤原氏の勢力は一段と強化されていた。これ武智麻呂むちまろや房前の弟に当たる宇合うまかいが、式部卿しきぶきょうとして腕を振るっていたからである。式部卿というのは文官の人事を掌握する要職で、すでに従三位になっていた彼は、房前のように「朝政に参議」してはいなかったが、兄たちと密接な連絡をとりつつ、人脈を広げていった。
これには、もちろん聖武の力が働いている。
「ふつつかながら、私が・・・」
という言葉は控えめだったが、すでに成人に達している聖武は元正の眼が届かなくなると、公然と藤原氏と手を組み、独自の路線を歩み始めたのである。さらに彼らは知太政官事の舎人とねり親王を抱きこみ、陰に陽に左大臣長屋王に圧力をかけた。長屋としても皇族の長老である舎人には、さすがに表立って反対は出来ない。こうして神亀四(七二七)年という年、廟堂びょうどうのバランスは俄かに崩れた。聖武を戴く藤原側はみるみる協力になり、相対的に長屋の力は弱められた。彼の味方になるのは大伴旅人ひとり、大納言多治比たじひの池守いけもりはもともと藤原氏寄りだし、「参議」に名を連ねる安倍広庭あべのひろにわは、藤原武智麻呂むちまろの姻戚だった。
かつて廟堂を圧した長屋の明快な法理論も、なぜか通用しにくくなった、宮子の大夫人号を拒否した時のあの鮮やかさをよみがえらせることは不可能に近かった。元正の存在が、それまでいかに大きなものだったかを、多分、この時長屋は知ったはずである。
それにしても、何と慌しく、強引な挑戦であろう。彼らがやみくもに急ぎ、強硬な姿勢をとりはじめた理由があらわになるのは、それから間もなくのことである。
安宿媛が懐妊したのだ。
そしてうるう九月二十九日、彼女は亡き父藤原不比等の邸で出産する。生まれたのはひよわげな男の児であった。
やっと病の癒えたばかりの元正の耳に、たちまち聞えて来た潮鳴りに似たざわめき ──。
皇子みこ誕生!」
「藤原夫人御安産」
── ああ、またしても・・・・。
よろめきつつ元正は唇をむ。平城京の東側にある不比等の邸は、宮廷にも比すべき豪華さだ。そして人々は競って不比等邸に皇子誕生の祝いにかけつける。
病みあがりの元正はその姿を眼にしたわけではない。が、その時、彼女は、この広い平城宮の中で孤立してしまったいる自分を感じないわけにはいかなかった。自分の身近に居るのは、長屋と吉備とその子たち、そして大伴旅人だけ ──。すさまじい奔流ほんりゅうをせきとめるには、あまりにも力足りなかった。
皇子誕生の直後、聖武の名によって大赦が行われている。さらに文武百官にも祝いの品が下賜されることになった。事はしだいに大げさになってゆく。
「それには及びませぬ」
難色をしめす元正に、聖武はむしろけげんな顔をした。
「皆がそろって豪華な祝いの品を献上してくれているのです。こちらも彼らの気持ちに応えてやらなくてはと存じますが」
そしていつのまにか、皇子と同じ日に生まれた子供には、貴賤きせんを問わず、布や綿、稲等が与えられることになってしまった。
2019/10/08
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