~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
赤 い 流 星 (四)
── が、あの時、私も長屋も、今日の事態を予想もしてはいなかった。
いま彼女はそう思う。あれほど大騒ぎしてこの世に迎え入れられた嬰児は、誕生日を待たずに発病し、やがて、あっけなく命を終えてしまったのだ。死ぬかも知れなかった自分はこうして生きているのに、あの若い命の灯が、すでに消えてしまったとは・・・・。
あの大騒ぎは何だったのか。幼児は自分をめぐってどのような事が起こったかも知らずにこの世を去った。その意外な結末の中で、しかし元正の思いはれない。安宿媛は絶望のあまり床につき、悲しみもだえているという。形において彼女の勝利はつかの間のものでしかなかた。しかし、元正には、幼児の死が自分たちの勝利を意味しないことがわかっている。
── 自分はひどく疲れている。
重く、じわじわと体の隅々まで沁み込んでくるこの疲れは、幼児の死によって癒されることはないだろう。
敗北に告ぐ敗北の一年間を、元正は苦い思いで噛みしめる。幼児はすでにこの世にないとはいえ、後に残されたものは大きかった。幼児の病状がただならぬ様相を示し始めたとき行われた、中衛府ちゅうえふの設置もその一つである。それまで新田部にたべ親王の統轄下にあった授刀じゅとう舎人寮とねりりょうの改組、拡大で、以後五衛府ごえふ(衛門府えもんふ、左右衛士府えじふ、左右兵衛府ひょうえふ)と切り離して天皇直轄の軍隊となった。
「今 その必要があるとは思いませぬ」
という彼女の反対は、五衛府の兵士たちの逃亡が多く、警備能力がひどく弱化しているから、という理由で押し切られた。廟堂に同調者を失った長屋の左大臣としての権能はしだいに弱まっていたのである。
中衛府は天皇はじめ宮中の中枢部の警護に当たるものとして精鋭三百が集められ、統率者も五衛府のかみと違って、大将と呼ばれ、従四位以上の高官が当たると定められた。実際に任じられたのは内臣ないしん房前、彼よりもその任にふさわしい大伴旅人は、これより前、太宰帥だざいのそつとして九州に赴いていた。元正側との巧みな分離策である。中衛府の軍事力を背景に、房前はこれから先、元正や長屋に無言の圧力をかけてくるに違いない。
まさに孤立無援、病臥以来、廟堂操作の力を失っていることを元正は痛いほど感じている。その中で叫び声一つあげずにここまで来る事が出来たのは、ひとえに王者としての誇りに支えられてのことであった。
いま幼児の死を前に、精根尽き果て、倒れ伏したいという思いをわずかに支えているのも、その王者としての誇りであった。幼き命の死によって状況がすべて変わったわけではないが、何か突破口を考えねばならない。
── 吉備の子供たちを、一歩でも皇位に近づけること。それにはどうすべきなのか。
傷ついた体で、元正は無理にも起ち上がろうとしていた。ともかく、自分の意思を実現するのは、今を措いてほかにはない、と思われたのであったが・・・・。
2019/10/09
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