~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
む と き (三)
やがて一夜は明けた。
もっとも血なまぐさい事件はまだ起きたわけではない。長屋の佐保の邸は、兵士たちが厳重に取り囲んではいるが、彼らは雄叫おたけび一つあげたわけでえはない。
そのうち、知太政官事ちだいじょうかんじ舎人とねり親王、知五衛事ちごえじにたべ親王らが従者を従え、ものものしい囲みを押しわけるようにして長屋の邸に入った。やがて大納言多治比池守たじひのいけもり、中納言藤原武智麻呂むちまろその他数人の官僚が緊張した面持ちでこれに続いた。
すでに、都に通じる三つの関所 ── 不破ふわ鈴鹿すずか愛発あらちを閉鎖させ、外部との交通を遮断するという非常警戒態勢に入りながらも、高官たちが、
「一応、長屋の言い分を聞く」
という形を取ったのは、元正に対する聖武・藤原側の思惑からである。無名の密告者の申し出で聖武が独断を下したとするより、高官たちの公平な判断を装った方が世間を納得させるだろう。しかし、この日長屋の事情聴取に当たったの主役は藤原武智麻呂である。多治比池守ははじめから藤原側に好意的だったし、一見中立または皇族側と見られる二人の親王のうち新田部はじつは藤原麻呂と母親を同じくしている(新田部の父は天武。母は藤原鎌足の娘、五百重いおえのいらつめ。天武の死後、五百重娘は異母兄不比等と結ばれて麻呂を産んだ)。一方の舎人も同じく天武の皇子ながら、日本紀の編纂へんさんなどに関わり、不比等と親しかった。
彼ら二人は長屋に対し、皇親としての親しみよりも、ある種の反感をいだいていたのではなかったか。同じ天武の血をけながら、彼らの異母兄高市たけちは、蘇我倉山田そがのくらやまだ石川麻呂いしかわまろ系の皇女御名部みなべと結ばれて長屋を儲けた。その長屋が御名部の妹に当たる元明の娘、吉備の夫となっている。
── 高市と長屋だけが、なぜ尊貴の血を享ける女性と結ばれるのか。
表面はさりげなく微笑を交わしつつも、長屋への敵意は根深いものがあったかも知れない。藤原側はその微笑を、装われた中立性を、ぬけめなく利用した、とも言える。
とすれば、高官が顔を連ねての事情聴取がどのようなものであったか冊子がつく。が、この時も、長屋は冷静で、全く乱れは見せなかった。
「私が呪詛だと? 何を言われる」
反論はつけこまれる隙もないくらい明快だった。長屋の澄んだ瞳、気品のある応対の前では、あやふやな密告をふりかざして詰めかけた連中が何と薄よごれて見えたことだろう。
が、聖武の前で意識を失い、息も絶え絶えのまま、内廷の庭を運ばれ、病の床に横たえられた元正は、詳細を知らされたわけではない。
やや小康を取り戻したとき、すべては終わっていた。
その明快な論理と、毅然たる態度にもかかわらず ──。
長屋は死んだのである。
最後まで呪詛の事実を認めず、自殺の道を選んだ、と元正は聞かされた。
「まだ審議が終わっていたわけではございませんで。左大臣に罪有りとし、死罪を行ったのでもございません」
舎人、新田部は微妙な言い廻しで報告した。国家を傾けようとする罪は、八虐はちぎゃくの第一で死罪に相当する。しかし、死罪は絞首刑か斬刑ざんけいという形で行われるのであって、長屋はその罪に服したわけではない、と言いたいのだろうか。
が、武智麻呂の言い方は少し違っていた。
「あの御気性では、死罪に服することを潔しとなさらなかったのでございましょう」
長屋の死罪は決定的で、わずかにその誇りが自殺の道を選ばせた、という意味を匂わせた。
が、そのいずれもが、おそらく真実でないことを、元正は感じている。長屋に対する人々の訊問じんもんはまる一日ぶっ続けに行われているのだ。そして彼らは口々に長屋を問い詰め、それでも屈伏しないとわかると、無理やりに死に追いやったのだ。自殺という形の虐殺である。
そして、さらに ──。
虐殺は行われた。
妻の吉備、そして膳夫かしわで葛木かずらき鈎取かぎとりの三兄弟と、異腹の桑田くわたまで・・・・。
吉備は貞淑にも夫に殉じて、自ら首をくくった、と発表された。そして、子供たちも母の後を追い、桑田もそれに倣ったのだ、と。
それがいかに虚偽に満ちたものであるかを、元正は知っている。
20191012
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