~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
極北の星 (一)
この日母から聞かされたことを、氷高は決して忘れないだろう。
「そなたはいずれ、今まで誰も身にけたことのない栄光に恵まれる」
「天の極北に輝く星にも似た、その宿命さだめ
それを口にするとき、母は眼を閉じていた。祈りとも予言ともつかぬ言葉の一つ一つが、まるで夜空から降って来る星のように、きらめきながら自分の身にまとわりついてくるのを氷高は感じた。
── 栄光? 栄光って何かしら?
それを語る母の声もいつもとは違っていた。それに、そんなすばらしいことを打ち明けてくれたというのに、母の頬には、なぜか翳があった。
── 聞かなかった方がよかったみたい。こわいわ、何だか・・・・
そう思ったとき、母はゆっくりとうまずき、
「そうなの、聞かなかった方がよかったのよ、私も・・・・」
まるで十四歳の少女の心の声を聞き取ったかのように言ったのである。
「まあ・・・・」
ぎょっとしたとき、閉じられていた母の瞳が見開かれた。そこにはいつもの母のゆったりした眼差まなざししがあり、語りかける声も、ふだんの調子に戻って、
「ちょうど、そなたより一つか二つ年上のころでした」
静かに話し始めた。夕闇ゆうやみに紛れて大路に立っていると、どこからともなく、白いきぬをまとった女が現れる。その女に自分の未来の事をたずねれば、まるで絵に描いたようにはっきりと、それを語ってくれるだろう・・・・その頃の女たち誰もが、半ば信じ、半ばたわむれにしてみることを、母もやってみたのだという。
「それで・・・・白いきものの女が現れたの?」
「ええ」
「どんな人?」
思わず氷高は身を乗り出していた。
「わからなかったわ、顔をそでで隠すようにしていたから・・・・かなりの年齢としのようだったけれど」
「そう。それで、その女の人が言ったのね」
「ええ、すばらしい御運です。高貴の方と結ばれますって・・・・。それはあたったわね」
なるほど、のちに母の夫となったのは、天武の皇子、草壁くさかべ。次の帝位に一番近い距離にある人物だった。
「でも、お母さま・・・・」
美貌の少女は考え深そうな瞳で問いかえす。
「それは、お母さまが阿閉あへの皇女ひめみこと知ってのことじゃないかしら」
「いいえ」
母は確信ありげに首を振った。
「私はね、そのとき、わざとみずぼらしい格好かっこうで立っていたの。そして女に言ってやったわ。私、そんな高貴の方と結ばれるような身分の者じゃありませんって」
「そしたら?」
「女はとりあわなかった。でも、そういう宿命ですって・・・・。そのかわり、天のはかりは正確です。おしあわせが大きいだけに、お苦しみも覚悟しなければなりませんって。そうだったわね、お父さまはあんなに早く死んでおしまいになったのですもの」
「・・・・」
「お子さまにも恵まれます、稀有けう なる御運をお持ちの方々ですって・・・・。だから私は聞いたの。たとえば女の子なら、よい夫にめぐりあい、よい子に恵まれるといったようなことでしょうか、って。そうしたら女は ──」
2019/09/05
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