~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
死 の 乱 舞 (一)
西の京の薬師寺では塔の建立こんりゅう が進んでいる。故元明女帝を中心とする一族の魂のよりどころであるこの寺が、長屋王たちの滅亡によって、ほぼ完成に近づいたとは、何と皮肉なことか。
国を傾けようとした、という理由で死に追いやられた長屋王の邸宅、資産が没収され、これが建立の費用に当てられたのだ。
「それが王に殉じられた吉備内親王さまの霊をお慰めするためにも一番よい、と帝は仰せられまして・・・」
聖武の意向を伝える房前ふささきの瞳をじっとみつめながら、太上帝だいじょうてい元正はうなずきさえもしなかった。
気の弱い聖武は叔母まで死に追いやってしまったことに、悔いを感じはじめているのだ。
── 罪ほろぼしをしようというのですね。
元正の視線は房前に迫っている。
── うや、どういたしまして。長屋王の叛意はんいは明らかでしたから。
恭しげに、しかし、房前の眼は反論する。
── いいえ、房前、帝は悔いておいでなのですよ。
── おやさしい方でございますからな。とことん追いつめるのはお好みでないのです。
房前の眼はあくまでも勝者の寛容を主張しようとしている。
「塔は藤原京のたたずまいそのままにとの帝の仰せでございました」
房前がそう言って一礼した時、
「言うまでもないことです」
元正は一言そう言ったきりだった。すでに故京の規模そのままに金堂や西塔は完成している。ただ一つ残っていた東塔が、それに準じて造られることは当然のことだった。
が、寸分違わない塔が再現されたとしても、それをともに眺める人は元正の傍にはいないのである。
かなしみの塔というべきか。
しかし、元正は思う。
── いまの私は、悲しみから眼をそむけることは許されないのだ。
悲しみの塔はまた、藤原一族の所業この上ない証言者でもある。彼らが長屋王や吉備を抹殺しようとして、いかなる非常手段に訴えたかを、塔はその姿のあるかぎり、声なき声で語り続けるだろう。
── 塔よ。永遠にそれを語り伝えておくれ。
翌年の冬、完成間近の東塔を見るために薬師寺を訪れた時元正がひそかに口の中で呟いたのもそのことだった。
三層の塔は、優雅な裳階もこしをつけて西塔と対している。裳階をめぐらせる意匠はもちろん金堂とも共通するものだ。藤原の故京にそれが出現した時、人々はその華麗さに眼を奪われたものだった。法隆寺の塔に見るような重々しさは薄められ、塔は軽やかに、むしろリズミカルな美の世界を出現していた。
が、同じ形で建てられた塔は、なぜか元正に、不安定なおのにきを感じさせる。よく晴れたその日、水煙すいえんの彼方をちぎれ雲が飛んで行く時、流れて行くのは雲ではなくて、むしろ塔そのものが、蒼空の中にゆらめいているような思いにさえ誘われる。そして、また自分自身も、虚空の中に漂いはじめた・・・と思った時、俄かによみがえってきたのは、若き日の母が語った夕占問ゆうけどいの母の言葉だった。
その女は母に言ったという。
「多分あなたの産む女の子には、世の常の幸福は恵まれないだろう。それに数倍する栄光が待ち構えているからだ。もしその子が世の常の女のように恋をし、子供をもうけるなら・・・おそるべき運命が待ちうけているだろう」
予言は、おそろしいほど的中していたと言ってもいい。
元正は皇后でもなければ母后でもないのに、皇位についた。希有の栄光というべきだろう。そして妹の吉備は、長屋を愛し、子を儲けたが、まさしく夫や子供たちとともに非業ひごうの死を遂げてしまった・・・・。
が、おま思いうかべるのは、その予言を信じるかと問いただしたとき、
「いいえ、私は余り信じないたちなの」
苦しげな微笑とともにそう言った母の言葉だった。
── もしかすると、あれはお母さまが思いつきでおっしゃったことではなかったか。
20191015
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