~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
死 の 乱 舞 (二)
あれは元正が氷高ひだか皇女と呼ばれていたころ、誰とも知らぬ男から恋文が送られて来た時のことだった。その恋を成就させるよりも、蘇我倉山田そがのくらやまだ石川麻呂いしかわまろの血を守る事を、このとき母は望んでいたのかも知れない。
当時は未だ政情が不安定だった。弟の軽(文武)は十代の少年にすぎなかったから、万一に備えて、当時の女帝、持統と母の間には自分の地位について何らかの暗黙の合意があったのかもしれない。その後長屋との恋に難色を示したのも、持統の重病という慌しい状勢を前にして、なお母は自分の未来に保留したいものを感じていたのではなかったか。
やがて即位した弟は、母の意に反して不比等の娘と結ばれてしまった。
── そのあたりから、私はお母さまの気持ちが少しずつわかりかけてきたのだわ。
文武が宮子に男児を産ませたとき、母は自分に皇位を継承させる一方、妹と長屋の恋を認めるよりほかはない、と覚悟をきめたのだ。
未来を予見していたのは夕占問の女ではなく、母だった、いや、母と異母姉の持統だった、と言うべきかも知ればい。
「後へは退けないのよ、私たちは」
「私たち蘇我の娘たちは、どのみち平坦な生涯は許されたはいないのだから」
そいう形で、母はわが家の女たちの歴史を語った。そして母はその重みに堪えながら生き続けたのだ。
── けれども、お母さまは、やはり・・・・
いまにして、元正は思う。母は遂に宮子に皇子を産ませたわが子を憎みきることが出来なかったのだ、と。藤原氏との間に板ばさみになって苦しんだ文武が若くして命を終えたとき、母の悔いと悩みはさらに深まった。そして臨終いまわきわに、遂におびとの即位を許していまったのだ。
が、それでも母は、必死で、吉備の産んだ男児への皇位継承を言いおいていった。そしてそのことが、長屋王一家の悲劇を招いたとは・・・・。
元正は祖母持統の最後の言葉を思い出している。死の床で、祖母は大津を死に追いやった真の事情をはじめて口にした。
大津の妃、山辺は、蘇我赤兄の血を享けている。その赤兄こそは、持統の祖父倉山田石川麻呂を見殺しにした憎い男なのだ。
その赤兄の血を引く女が皇后になることは許せない、と祖母が言った。瀕死の床の中で、世の悪評を恐れてはならぬ、となおも言い切った祖母だった。
── でも、そのつよさがなかったといって、お母さまを責められるだろうか。
むしろ母なればこその心弱さではなかったか。いや、自分だって成人した首を眼にした時、危うく弟の再来かと思ってしまったくらいなのだもの・・・・。
「私たち蘇我の娘たちは」
と呟くときの母はいずれ辿るべき自分たちの運命を、すでに見越していたのかもしれない。
行く手の敗北を見つめながら、なおも誇り高く生きようとした母だった。その母が、栄光の後継者として自分を、血の継承者として吉備を選んだ ── と考える方が、今の元正には、夕占問の女も言葉を信じるよりも、ずっと納得できるのだ。
「お母さま」
風の速いその日、蒼穹そうきゅうにゆらめくかに見える塔の水煙を見あげながら、元正は呟く。
「誇り高く敗れよ、との仰せなら、私はそういたします、いいえ、私はそうしております」
妹一家を失った悲しみに打ちひしがれているわけではありません ── と言いかけたとき、
太上帝おおきみかど
そっと女官が声をかけた。
「九州から帰ってまいりました大伴旅人おおとものたびとが、御門前まで参っております」
20191015
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