~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
宮 都 変 転 (三)
この日を境に、聖武と元正の間には、暗黙の了解めいたものが成立した。その後も二人は連れだって甕原離宮を訪れている。訪れれば必ず聖武は生き生きとした表情を見せ、
「ほんとうにここは心が安らぐ。お祖母さまがお好みになられたお気持ちがよくわかります」
元正を振り返って、元明のことを懐かし気に口にした。遷都の計画は公表されはしなかったが、その準備工作は徐々に進められていた。当時の廟堂の顔ぶれは、
知太政官事ちだいじょうかんじ  鈴鹿王
右大臣    橘諸兄
中納言    他治比広成たじひのひろなり
参 議    大伴道足みちたり 藤原豊成とよなり
である。長屋王の弟である鈴鹿王は、長屋王への鎮魂の意味も込めて、皇族代表として智太政官事に据えられているが、実質的権力は持っていない。この年、他治比広成の死を契機に、参議が四人増員されたが、いずれも藤原氏でない人物が選ばれている。ひとり藤原氏の参議として廟堂にある豊成は、武智麻呂の長男だが、温厚な性格で、先立って議事をリードするタイプではなかった。
まさに都還りの機は熟したと見ていい。
元正は聖武の決断を求めたが、しかし、いざとなると弱気の聖武はなかなか言い出せない。と、そのうち、思いがけない事が起こった。そのころ太宰少弐だざいのしょうにとして九州に赴任していた藤原広嗣ひろつぐが挙兵し、都へ向かって押し寄せて来る、という知らせが入ったのである。
広嗣は故宇合うまかいの長男である。太宰少弐というのは、役目から言えば、そつ、大弐に次ぐ役どころだが、当時帥は任命されておらず、大弐の高橋安麻呂は、右代弁を兼ねていたために任地に赴いていない。つまり広嗣は実質的には大宰府の最高責任者だった。
しかし、広嗣は九州に飛ばされたことに大きな不満をいだいていた。廟堂にいる藤原氏は、おっとり型の豊成一人であって、到底、自分の中央復帰は見込みがないと思ったのだろう。激烈な上表文じょうひょうぶんを送りつけてきた。
当時、聖武は閣僚外の政治顧問として、少し以前唐から帰国してきた吉備真備きびのまきびと僧玄昉げんぼうを重く用いていた。とりわけ玄昉には、精神に異常を来していた聖武の母の宮子を治療して効果をあげたので、深い信頼を寄せてもいた。広嗣はまずこの二人を奸臣かんしんとして、彼らの排除を献言けんげんし、挙兵したのである。
この広嗣の挙兵を聞いて、聖武は異常な驚愕ぶりを見せる。ひそかに遷都の計画を進める事のよって、明るさを取り戻したかに見えた彼は、完全な自信喪失に追い込まれ、蒼惶そうこうとして都を逃げ出す。
チンオモフ所アルニリテ、今月ノ末、シバク関東にカントス。ノ時ニ非ズトイヘドモ事ムコトアタハズ」
これが征討に出かかた大将軍大野東人が戦勝を報告して来たのに対する聖武の言葉なのである。
「将軍コレヲ知リテ驚恠キヤウクワイスベカラズ」
自分は思うところがあって関頭に行く。その時期でないことは承知の上だが、しかし、やむを得ないことなのだ。将軍よ、驚いてはいかないぞ ──。
支離滅裂としかいいようがない。驚いてはいけないとうが、これで驚かないでいられたらむしろ不思議なくらいだ。
「太上帝もお早くお出ましを」
聖武は使いを元正の許に送って、出発を促してきた。
「出発するといって、どこへ行くのです」
問いただしても、使いは首をかしげるばかりである。
「さあ、よくわかりませんが、関東へお出ましのおつもりかと」
「まあ、なぜに、味方は勝利と聞いています。逃げ出す必要はないと思いますが」
「はあ、それとは別なのだそうで・・・。とりあえず、伊勢へお出ましになるとか」
2019/10/21
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