~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
宮 都 変 転 (四)
天平十二年十月十九日。
この日から聖武の流浪がはじまった。都の留守を鈴鹿王と兵部卿兼参議の藤原豊成にまかせてまず伊賀へ、それから伊勢へ、やがて鈴鹿を越えて桑名へ。その間に東人を総帥とする派遣軍は圧勝を報告し、広嗣を捉えて斬殺したことを報告してきたが、まだ聖武の放浪はやまない。
桑名から当伎たきを経て、不破に入ったころになって、元正は、聖武の流浪の意味を理解した。
── まあ、天武の帝の御足跡を廻っておられるのだわ。
まさに一行の経て来た道は、壬申じんしんの戦の折に、天武が辿った道筋なのだ。彼女にとっては祖父、聖武にとっては曾祖父にあたる天武の戦いの跡を追体験することは、天武・持統体制を否定する不比等たち藤原一族に支えられてきた聖武の、いわば懺悔ざんげの旅ではなかったか。
「やれやれ、また何でこんな時間にあちこちお廻りになるのか」
従者たちは不満たらたらだったが、
「其ノ時ニ非ズトイヘドモ事已ムコト能ハズ」
といううめきに似た詔勅の中にこめられた聖武の必至の思いが、元正にはわかるような気がした。広嗣の挙兵に、聖武は白村江はくすきのえの敗戦を思い出したのかも知れない。あの時は外敵を相手の戦いだったが、敗戦後、日本には新羅や唐の将兵が多数進駐して来た。彼らの影響を色濃く受けた天智朝の体制を圧倒したのが、天武と尾張、美濃の軍時力であってみれば、危機の到来に当たって、聖武はどうしてもこの地を味方につけておきたかったに違いない。
広嗣敗死の報を受けた後、聖武はさらに近江に入って、壬申の戦の折の戦跡である野洲やすを訪れた。
この時までに、聖武は、ふたたび平城京に戻るまいという決意を固めたようである。途中で諸兄は一行と別れて相楽郡に急行した。いよいよその地に皇居を定めるためである。
十二月半ばに、恭仁京くにきょうと名づけられたその新都に聖武が到着する。続いて元正と、蒼い顔をした光明が・・・・。都とは名ばかりで宮殿の設備さえととのわない新京で、一行は天平十三(七四一)年の初春を迎えたのであった。
光明もすでに力きている。長い旅で体力は消耗し尽くし、平城京帰還を口にする元気もないらしい。その隙を狙って、橘諸兄はてきぱきと事を運んでしまった。
「五位以上の者は、今後勝手に平城京に住んではいけない」
「また恭仁京から平城京に用事のやめに戻る場合は、官に届け出てその許可を得よ」
「平城京にある兵器はすみやかに新京へ運べ」
宮殿の多くは解体されて恭仁京に運ばれはじめた。平城京はすべてを剥ぎ取られ、急速に廃墟になりつつあるようだった。
今 光明の側近にあるのは甥の豊成ひとり。しかも、もう一人の甥の広嗣の挙兵によって、周囲には、藤原氏を指弾する声が満ちみちている。
さすがにそれに気づいたと見えて、光明は父、不比等に下賜されていた食封五千戸の返上を申し出た。悪評を封じるための起死回生の一手である。
聖武はすべてを召し上げるのは気の毒と思ったらしく、二千戸は藤原氏の手許に留め、残りの三千戸分を、かねて企画していた諸国の国分寺に施入せにゅうすることにした。
国ごとに寺を建てて仏教を興隆させるという発想は中国伝来のもので、聖武はすでにこの計画をてていたが、広嗣の乱や遷都の騒ぎで具体化されていなかったのを、この三千戸の費用で、まず丈六じょうろくの仏教が造顕されることになったのである。
「さらに七從塔の建立こんりゅうを、金光明こんこうみょう最勝王経さいしょうおうぎょうと法華経の書写を──」
こうして、国分寺の建立計画は、いよいよ軌道に乗りはじめた。思いきった食封の返還が国分寺を支え、藤原氏の人気の低下を辛うじて食い止めたことになる。
孤立無援になりながらも、必死に苦境を切り抜けようとしている光明の心情は元正にはよくわかる。
── 私もまた孤独な戦いを続けて来たのだから・・・・
元正自身、女帝になることを望んだわけではなかった。それ以外の道を歩むことを許されなかっただけだ。光明もまた望んで皇后に昇ったわけではない。宿命がそれ以外の道を選ばせなかった、ということではないか。その中であえぎ喘ぎ生きている姿を見ると、敵対する立場にありながら、元正はふと、共感を覚えずにはいられない。
── 年をとったせうだろうか?
すでに六十二歳、いつか母元明の没年を越えてしまった。
「お年には見えないお若さです」
周囲はそう言ってくれるし、たしかに母の晩年の面差しは、ずっと老いた感じだったように思う。しかし、
── 永遠の美貌。
という賛辞も今はわずらわしい。
── 私は生きていることに疲れはじめたのだわ。
ふとそう思う。藤原氏への復讐もあざやかに成し遂げられた。もうこれ以上、光明を追いつめるのは酷ではないか。父や兄達を失い、半ば力竭き、喘ぎに喘いでいる姿を見て、そういそういう気持ちになるのは、自分が老いたせいであろうか。
この後は恭仁宮で、平城京とは違った雰囲気の政治が生まれ、祖父天武の精神が、聖武に継承されればそれでいいのではないか。
恭仁京に新しく彼女のために造られた宮殿で、静かに椅子に身をあずけながら、元正はそう思わずにはいられなかった。
2019/10/22
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