~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
幻 想 の 王 国 (四)
「なにとぞ早く御帰京を」
諸兄はしきりにそう言い、恭仁京に留まっている元正も何度か帰京を促した。ところが十月になって、突然、聖武は思いがけないことを言って来た。
「この紫香楽の地に大仏を安置したい」
── な、なんと・・・・
諸兄はこの唐突な申し出に絶句する。広嗣の乱に出兵、聖武の放浪で国庫は疲弊しきっている。平城京から恭仁への建物の移転も遅々としてはかどらないのもそのためだ。先の「墾田永年私財法」も、これによって貢納こうのう物の増大を計ろうとしたものに他ならない。
この窮状を知らないはずのない聖武の突然の申し出は、まりにも非常識すぎる。
「今はその時期ではないと思いますが」
という元正の意見にも、
「私はどうしても大仏を造りたいのです」
にべもない答えが返って来た。顔を合わせた時に見せる怯えたような眼付の甥からは考えられない強引さであった。
「皇后さまのお考えから出たことでしょうか」
諸兄は声をひそめて元正に言った。が、そのことを元正が聖武にたずねてやると、
「后は反対しております」
という返事が返った来た。光明に従って、藤原豊成も仲麻呂も紫香楽に行ってはいるが、彼らも眉をひそめているらしい。常識では考えればそれが当たり前だ。
「お考え直し下さい。今の財政状態ではこれ以上の負担には耐えられません」
諸兄の懇請に対して、
「それならよろしい、国庫はあてにすまい」
思いがけない言葉がもたらされた時、諸兄には聖武の神経が異常を来したとしか考えられなくなっていた。
そして十月十五日、紫香楽で詔勅を発する。有名な大仏建立こんりゅうの詔勅である。いうところはこうだ。
「私は徳の少ない身でありながら天皇の位につき、民を撫育ぶいくすることに努めては来たが、まだ力の及ばないところがある。この上は仏法の加護を受けて国を安らかにしようと思う」
そのための盧遮那仏るしゃなぶつの建立なのだ、と聖武は言う。盧遮那仏というのは、大乗仏教の経典の一つである華厳経けごんきょうに説かれている仏で、いわば大宇宙を象徴するような存在である。さらに詔は言う。
「ソレ天下ノ富ヲモツツ者ハチンナリ。天下ノ勢ヲ有ツ者モ朕ナリ」
その富と権力を以てすれば大仏建立はたやすいが、それでは精神がこもらない。それどころかいたずらに人民を疲れさせ、かえって罪障ざいしょうを作ることになる。だから広く知識(同志)を募って事業を完遂したい、というのである。
「まあ・・・」
諸兄から手渡された詔勅を読み終えるなり、元正は眼を閉じた。
表面は堂々たる詔勅である。聖武がこの頃華厳宗に心をひかれていることも知らないわけではない。数年前河内を旅した時、地元の有力者たちの建てた寺で盧遮那仏を見て異様な感動を受けた、と聖武みずから話もしていた。しかし、高度な仏教精神の宣揚を説くかに見えるこの詔勅から、元正の耳に聞こえて来るのは悲鳴に似た叫びであった。
形の上では天下の権力者だが、聖武のこの計画に賛成する者は一人もいない。国庫をあてには出来ない彼は、
── それでは自分でやる!
と空しい叫びをあげているのだ。いったいどれだけの成算があるのか。いや、そもそも、なぜこの時期に大仏を建立しなければならないのか。
眼を開いて元正は諸兄をみつめた。
「紫香楽は山深い所と聞いていますが」
「は、恭仁のはれやかさはございません」
「なぜ帝はそこに執着されるのか」
やがて、謎が少し解けてきた。聖武はその直後に、東海、東山とうざん、北陸道の諸国のよう調ちょうを紫香楽に運ぶように命じたのだ。山の中とはいえ紫香楽はそれらの三道に近く、貢献物の受け入れには便利である。唐突なように見える造仏の計画の裏に、案外冷静な計画も含まれているようで、それが何となく薄気味悪くもあった。
2019/10/27
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