~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
幻 想 の 王 国 (五)
追いかけて大仏のための寺域ふぁ選定され、同時に行基ぎょうき法師とその弟子たちが人々を勧進かんじんして造仏にあたると発表された。
それまでの行基は危険人物視されていた。国の掟を無視して、民衆に仏教を説いたからである。今考えると奇妙な事だが、当時は僧侶が直接民衆を教化することは許されていなかった。僧侶は国家に身分を保証されている代わり、国のためにだけ祈り、かつ経典を研究するものとされていたのである。
が、行基はその枠を無視した。当然民衆は熱狂的に彼を迎え、その教えに帰依きえしたが、その教えが増大してくると、政府はこれが社会に影響力を持つ集団となる事を恐れ、さまざまの方法で圧迫を加えはじめた。それでも漁期はひるまず、むしろ彼らの集団力を結集して、社会事業に着手した。橋を架ける。道を直す、諸国から庸や調を運んでくる農民が餓えや病気で行き倒れになるのを救うために、布施屋ふせやという施設を造る・・・・。これまでの僧侶のなし得ない事をやってにけたのだ。
さすがに政府も弾圧で彼らを解散させるのは無理と気づいたらしく、少しずつ方針をゆるめかけたてはいたが、かといって行基の行動を全面的に認めたわけではない。聖武はその行基にあえて協力を求めたのだ。政府のよしとしない人間に手をさしのべるとは、王者の孤独な反乱である。諸兄にも藤原氏にも賛成されない事業をやり遂げるには、行基に頼るよりほか、たしかに道はない。
諸兄は苦り切っている。
「いったいどういうおつもりか」
聖武に強く帰京を求めた。さすがに説得に応じて聖武が戻って来たのが十一月、諸兄は表情を固くして進言した。
「恭仁京もまだ完成しておりません。大仏建立はやはり──」
言いも終わらぬうちに聖武は口を開く。
「では恭仁京の建設は打ち切ろう」
「何と仰せられる」
気色ばんだ諸兄の前に言葉を叩きつけた。
「以後は紫香楽の宮造りに励むがいい。いずれ、かの地を都と定める」
聖武と諸兄の仲は完全に決裂した。元正が苦心して作り上げた政治的な妥協は早くも崩壊しはじめたのである。それを怒るよりも前に、いま、元正の心を暗くしているのは、聖武の異様な昂り方であった。
── 甥はもうどうにもならないところへ来てしまった・・・・
怯え切った表情は、いま、彼の頬にはない。憑かれたように大仏造顕におぼれ込み、その他のことは考えられなくなっている。一見、人が変わったような印象を与えるが、じつはこれは怯えの裏返しなのだ。恐怖に心をむしばまれた彼は、懺悔ざんげのあかしに、これまで誰もやらなかったことをしなければ気がすまなくなってしまったのだ。前代未聞の大きな仏像、そして誰にも煩わされない新しい都──。
幻想の王国というべきであろうか。
2019/10/27
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