~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
うす あかね (二)
戦が終わって、天武が旧都飛鳥に帰還した時、阿閉は十二歳。
「ようお戻りなされました」
近江に移らずにここに住みついていた人々は、口々にそう言ってくれた。
やがて青春時代を迎えた彼女は、天武と異母姉鸕野讃良うのさらら (後の持統)の間に生まれた皇子草壁くさかべ と結ばれて島の宮に住むようになった。そこで、一族の大長老として政治の中心にあった蘇我馬子 ── 阿閉にとっては祖父の祖父に当たる人物の造った豪奢ごうしゃ な邸宅であった。
これより前に、姉の御名部みなべ は、草壁の異母兄、高市と結ばれている。これら若者たちの間に花開きはじめた愛の世界を、何よりも喜んだのは天武であった。
「これでいい、昔の姿が戻って来た」
十年余の悪夢時代がやっと終わった、とでもいうおうに、姉妹に祝福を与えた。
「そなたたちは先帝(天智)の娘でもあるが、まぎれもなく母方は蘇我の血に連なっている。蘇我の娘たちは、これまでこの地で育ち、いつも王者の妻となった」
たしかに天武のきさきで鸕野の母も蘇我の娘だし、天武の母、亡き皇極(斉明)女帝も蘇我の血を引いている。十年余の動乱期が終わって、その姿が戻ろうとしていることに、天武はかぎりない期待を寄せているようだった。
が、彼の前にはまだ問題が山積していた。飛鳥への帰還は単なる過去への回帰ではないのだ。幻に終わった近江時代に天智が構想し着手した新国家体制を超えるものを、彼の手によって確立せねばならない。
その一つは、その規範ともいうべき飛鳥あすか 浄御原きよみはら りょう の制定、つまり新憲法の作成である。同時に、国際的には新羅との提携を強めた。天智時代に行われた遣唐使派遣は打ち切られ、代って新羅との往復がしきりに行われるようになった。外交方針の大転換というべきであろう。
こうした大枠の中で天武が計画したのは新都建設だった。浄御原令の制定によって新国家体制が打ち立てられ、官僚群がそれに従って飛躍的に増加するとなれば、現在の飛鳥の宮では収容しきれない。必然的に新しい諸官衙かんが が必要になってくる。天武はこのための新都を、飛鳥の西北に広がる広大な平地、藤原に建設することを思いたった。この新都が完成する時、彼の新政は、はじめて完璧かんぺき なものとなるはずであった・・・・。
が、死は思いがけない早さで彼を襲った。運命はそれだけの時間を彼に与えてくれなかったのである。それどころか浄御原令の公布も待たず、彼は世を去り、それを追うようにして皇子草壁も死の世界に連れ去られた。
阿閉は、氷高、軽、吉備の三人の遺児と共に、二十九歳の若さで夫の死を見送った。天武の祝福は、遂に空しかったのだ。
が、このとき、阿閉は、夫とわが子を失いながらも、毅然きぜん としてその遺業を継承しようとしている異母姉の姿を見た。共同統治者ともいうべきわが子草壁を失ったその年、彼女は夫が念願とした浄御原令の公布にこぎつけた。
その翌年正式に帝位についた彼女が、最も頼りとする高市とともに目指したのは、夫の遺志を継いでの新都造りであった。
「新しい都」
「新しい都」
少女氷高には華やかなときめきを感じさせたその言葉には、じつは彼女の祖父と祖母の執念にも似た思いが込められていたのである。
2019/09/07
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