~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
うす あかね (四)
晴れの都うつりの行列を、沿道の人々はずらりと並んで眺めている。この辺に住む農民たち、諸国から新都造営のために集められた役民えきみん達 ──。でも、彼ら全部を住まわせたとしても、この広い都の中を埋める事は出来そうもない・・・・。
そんなことを氷高fが思っていた時、
「ごらんなさい」
肩を並べるように馬を寄せて来た長屋が、そっとささやいた。
「みんな、あなたを見ている」
「え?」
とまどう氷高に、長屋はさらにささやいた。
「なんてひめみこは美しいんだろうって、みんなが言っている」
「まあ、そんなこと」
どきまぎして顔を伏せた。
「からかってはいや」
「からかってなんかいない。ほら、みてごらん」
そう言えば、男の瞳も女の瞳も、たしかに自分に向かって集中しているような気もする。中にはあきらかに自分を指さし、連れと何かうなずきあい、ささやきかわしている者もある。埃にまみれた身なりから、まぎれもなく地方から徴発された役丁えきぼろと思われる中年の男などは、魂まで吸い寄せられてしまったのか、口をぽっかりあけ、ふらふらと行列について歩き出しそうにさえしていた。
── まあ、これはどうしたこと。
こんあにまで人々の注目を浴びるということは、氷高にとって最初の経験だった。一人の年若な少女に過ぎない自分のどこに、人を引きつける力があるのか、むしろ空おそろしかった。頬をあからめてうつむく氷高の背に、長屋のやさしい声が迫って来る。
「ほんとに、今日のあなたはとりわけ美しい。その薄茜色うすあかねいろ表着うわぎ、とてもよく似合うよ」
「まあ・・・・」
今日のために、氷高は白と紅の紺のしま模様のを織らせた。蜘蛛くもの糸ほどに細い絹糸で織った裾は、ふわりと氷高の足を蔽って馬の背にひろがっている。表着は裾の紅に近い淡い茜色を選んだ。肩にかけた領巾は、かげろうの羽より薄い茜色のうすもの・・・・。
「冴えた空の色にまるであわせたような・・・・さっきから、そのkとを考えていた。いや、でも・・・・」
長屋のささやきはよりかすかになった。
「茜色が美しいのじゃない。あなたは何を着ても美しい人だ」
氷高は、すみれ色の翳をよぎらせて、瞳をそらせた。
長屋のような若い青年から、はっきり美しいと言われたのはこれがはじめてだった。例の紅いもみじの葉に歌を添えて来た名の知れぬ人からはじまって、恋の歌を贈られることはあれからしばしばあったが、なぜか心を動かされたことはなかった。
母のいましめを守ろうとしたというのではなかったが、あの夜の記憶が心のかせになっていまったのだろうか。
が、いま氷高はその母の言葉すら、ほとんど忘れようとしている。
今まで聞きなれていた長屋の声が、まるで別もののように聞こえるのはなぜなのか。見知らぬ人のようにも思えるひとりの青年が寄り添うように馬を進めていることに氷高は、かすかにおののく。
そうなのだ、昨日までの彼は幼馴染、たのしい遊び相手にすぎなかった。が、これからは、これまでのように、気軽にたわむれを言うことは出来ないだろう・・・・。
不自然に黙りこくってしまった氷高の後から、長屋も無言で馬を歩ませている。そのうちにいつか一行は宮門に近づいていた。都の中央を南北に走る大路をうけとめるように、新しい宮殿は、新都の北部にいらかを輝かせていた。深い大溝にかこまれ、さらに瓦を置いた大垣をめぐらせた堂々たるたたずまいに、吉備は無邪気に声をあげた。
「まあ、きれい。そして広いのね」
「飛鳥の宮の一倍半はあるはずだよ」
幼い少女に答えるとき、長屋の声は、これまで聞きなれた、少年の名残を含んだ明るいものに変わっていた。
2019/09/08
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