~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
闇 深 け れ ば (三)
きびしい冬が去り春がやって来た。少しずつ形をととのえてきたとはいえ、藤原の都にはまだ田園の面影が残っている。青みはじめた野辺に、あげ雲雀ひばりのさえずりがさわやかだ。そして春とともに、阿閉たちの気づかっていた持統女帝の健康は、少しずつ回復のきざしを見せはじめていた。
そして陰暦四月 ── 夏の季節がやって来ると、持統は吉野の離宮へ出かけた。彼女の吉野行きは珍しい事ではない。多い時には年に数回、気心の知れた側近だけを連れて行く。滞在は六、七日から十日、さほど長い期間ではない。
吉野は持統にとって思い出の地だ。夫の大海人おおあま(後の天武)が近江の天智とたもとを分かってこの地に退いたとき、彼女はためらいなく父、天智と離れて、夫と行をともにした。やがて天智の死を聞いた二人は、厳しい冬を過ごしながら、近江朝廷打倒の策をこの地で練り上げたのだった。
してみれば、彼女を今日あらしめたのは吉野だと言ってもいい。夫への追憶を込めて彼女がしばしばこの地を訪れるのは当然のことだ、と人々は思った。もともとときには冬のさなかに出発して周囲を驚かすこともあったが、強い体力に恵まれていた彼女は、もともと旅は苦にならないのだ。
ときには伊勢へ出かけることもある。この時は三月出発と発表したため、高官の一人、大神おおみわの高市たけち麻呂まろ諌止かんしにあった。
「今は春、農事繁忙の季節でございます。その妨げとなる行幸はおやめになった方が・・・」
中納言の職を賭しての上申だったが、持統はきかなかった。
「中納言を辞めたければ辞めてよろしい」
あっさり辞表を受理し。伊勢旅行を強行した。
そういう彼女が、夏の訪れとともに待ちかねたように吉野へ出かけたのも無理はない。じじつ、吉野行きが決まると、その頬は生き生きとし、去年からの不調は影もとどめていないかのようにみえた。そして七日目に戻って来た時も、彼女の顔には、さほどの疲れの色は見えなかった。
が、県犬養美千代の見る眼だけは違っていた。
「やはりおやつれが目立ちますわ」
女帝の帰京を迎える儀式が滞りなく終わって、列立していた人々の輪が崩れかけた時、傍に居た氷高に、彼女はそっと言ったのである。長年女帝に近侍きんじしている彼女は、さすがにその微細な変化を見逃さなかったとみえる。
内定への道を連れだって歩きながら、三千代は大きな吐息を洩らした。
「大事なおからだでございますからねえ。ほんとにあと二、三年は帝にこのままでいらしていただきませんと」
母は年若いわが子の前途を案じていた。そして母同然に皇子にかしずき続けて来た三千代も、やはり同じ思いでいるらしい。
が、その後で三千代の口から出た言葉は、氷高の想像を全く裏切るものだった。
内廷の庭の片隅には、小さな池に臨んだちんがある。柱にからませたつたが作るやさしい木陰に氷高を導くと、
「いかがですか」
三千代は置かれてあった小椅子こいしの一つをすすめた。池を渡る風が小波さざなみを立て、思いのほかに涼しい憩いの場であったが、夏の昼下がり、内廷には人影もなかった。そこで三千代は声をひそめて言ったのである。
「ほんとうに帝がおいでにならないと、年寄りどもは何を仕出かすかわかりませんもの」
とっさには変事が出来なかった。頬に現れかけたものを押しかくすのがやっとだったが、三千代はそれに気づかないのか、一気に言った。
「年寄りどもはいつまでも壬申の折の功績を鼻にかけていますのよ。もう二十五年も前のことですのに」
自分の家もまた壬申の戦の功績を買われて進出してきたことを、忘れてでもいるかのような言い方を三千代はした。
「頭が固くて、考え方が古くて・・・・。困ったものですわ。若い人たちがうんざりしているのにちっとも気がつかないんですから」
思いがけない言葉だった。三千代は、若手に不満が鬱積うつせきしているとも言った。それが爆発したらどうなるのか。辛うじて両者の対立を押さえ込んでいるのは、老練な女帝なればこそである。
「さすがに女帝さまは、若い者をなだめる術を知っておられます」
三千代は意味ありげな微笑を浮かべた。
「去年の十月、田辺史たなべのふびと抜擢ばってきされたのは、そこをお考えになってのことでございますよ」
氷高の背筋を走るものがあった。
2019/09/14
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