~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
渦 紋 (二)
女帝の退位と文武即位をこの時と定めたのには、もう一つの意味があった。即位の行われた六九七年八月一日は甲子きのえね。中国伝来の考え方に、
辛酉革命しんゆうかくめい甲子革令かつしかくれい
というのがある。辛酉の年は革命の年、そして甲子は法令などのあらたまる年、というのである。
この年は丁酉ひのととりで年の干支えとは違っているが、日付だけでも甲子を選べば、新帝登場にふさわしい清新の気をみなぎらすことが出来るのではないか ── というのが諸卿しょきょうの意見だった。
祖母の持統も母の阿閉も、その考え方に依存はなかった。年若き少年帝の門出を、新時代の出発として印象付けることは望ましいことだとさえ思っていた。
たしかに少年帝の登場は、宮廷の雰囲気を変えた。氷高の眼にもはっきりわかったのは、後宮に年若い侍女が一度に増えたことであろう。侍女とは少し違った意味で宮中に出入りを許されるようになったのは、石川刀子いしかわのとじのいらつめ紀竈門きのかまどのいらつめ ── 刀子娘はその姓の示すように蘇我倉山田石川麻呂系にゆかりの娘だし、竈門娘は名門紀氏の出である。
「いずれ、おきさきに選ばれるのはあの方たち」
侍女たちのそんなささやきも聞いたように思う。
── まあ、弟が、おきさきを?
氷高はちょっと首をすくめたくなる。たしかに最近、弟は急に背丈が伸び、動作も堂々としてきた。帝位に即くということは一人前の男性として認められたことだから、きさきもいずれきめなばならない。が、つい最近までは、むしろひ弱でおとなしすぎるぐらいだった弟の傍に寄り添うきさきの姿は、どうしても想像出来なかった。それにしても、はでな裾長すそながにひいた娘の姿が目立ち、後宮には日々若やいだ女の声があふれるようになったのは事実である。
もう一つ、大きな変化が現れたのは阿閉の身辺である。文武の即位と同時に、「皇太妃こうたいひ宮職ぐうしき」が付けられ、舎人とねり数十人にかしずかれることになった。単に亡き皇太子のきさきというだけでなく現帝の母后という、いかめしい格付けがなされたのだ。かつての日の草壁と母后鸕野うのに準じた扱いとでもいおうか、位にこそっついていないが、天皇の母方の代表者として、母系色の強いそもころ、持統に代わって政治面でも少なからぬ発言力を持つ存在となったのである。あがたの犬養いにかいの三千代みちよの顔も一段と輝きを増してきた。文武の乳母めのととして、片時も側を離れずかしずき続ける彼女は、時には文武の分身であるかのような物の言い方をする。新しく後宮に仕えはじめた若い侍女たちは、そうした彼女の顔色を窺がうことが多くなった。
氷高がそんな三千代を内廷の庭で見かけたのは、文武が即位して三か月経った頃だったろうか。急ぎ足で庭を横切ろうとしていた足をとめ、
「ま、ひめさま」
声をかけたのは三千代の方からだった。
「きれいなお召し物でございますこと。いよいよお美しくおなり遊ばして・・・・」
三千代はおおげさに氷高をほめそやす。それから文武の身辺がいかに忙しく、いかに自分がその健康に気を使っているか、と三千代の舌はなめらかに廻りだした。立ち話の間に、
「帝が・・・・」
という言葉を氷高は何回聞かされたことだろう。その饒舌じょうぜつにうなずきながら、ふと氷高は三千代の後にひっそりと立つ若い女性に気がついた。
最初は三千代の連れとは思わなかったのだが、立ち話の間、少し離れた所に足をとめているので、やっと氷高は三千代とここまで一緒に歩いて来たのだと知ったのである。御代がわりとともに、新しく宮中に出仕するようになった一人なのであろう。くちなし色のつやのある裾、緑の表着うわぎ、上に羽織ったそでのない錦の背子からきぬの冴えた紅色もみごとだが、それより氷高の眼を引いたのは、彼女の妖しいまでの美しさであった。
年のころは自分と同じくらいだろうか。透き通るように白い頬に伏せたまつげの影が濃い。まるでこの世ならぬところで育てられ、つい先ごろ、地上に送り込まれて来た、というような感じさえする。美しさというより妖しさ ── それも見る人を惹き込まずにはおかないような、ふしぎな魔力を持った妖しさだ。
2019/09/16
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