彼の営中に、物を運んだり、床を掃除したりして庶務をする小男がいた。青ぶくれした小さな顔で、いつも表情がなく、この男をどこで拾ったのか、劉邦りゅうほうはおぼえていない。それどころか、名前さえ記憶していなかった。
── あれは、どこの男だったか。
と、後日・・、劉邦は左右に聞くと、聞かれた者があきれて、沛はいの町からずっとついてきた男じゃありませんか、と答えた。沛の町の男だから安心だということで営中の掃除をやらせるようになったのだが、これほど印象の薄い男もめずらしかった。
あるとき、その男が営中の土間に紛れ込んで来た豚を追い出した後、劉邦に向かって、
「将軍」
と言った時ばかりは、蚤のみが口をきいたほどに劉邦は驚いた。
この男も、栄達したかったのである。なにか献策してそれが妙案なら劉邦が喜び、人間ぐるみ取りたててしまうのを掃除しながら見ていたのであろう。
「なんだよ」
「将軍はやはり関中かんちゅう王におなり遊ばすべきだと思いますす。それを望む声が地に満ちております」
(蚤が、なにを言いやがる)
と思ったが、劉邦は自分に献策する者に対してはそれが誰であろうと師として礼遇する習慣を持っていたため、居ずまいだけは正し、
「言いたいことをいってくれ」
と、言った。
「函谷関かんこくかんに兵をやって扉とびらを鎖とざしてしまえば中原ちゅうげんの軍勢はここに入ることができませぬ。それでもって関中王におなりになればよいではありませんか」
と言った時、冷静な場合の劉邦なら、この子供っぽい案を大笑いしたにちがいない。しかし体が浮き上がる程にいい気分でいたときだっただけに、
(ああ、そのとおりかも知れぬ)
と、乗ってしまった。たとえば他家の留守中に入り込み、門さえ閉ざしてしまえばおれの家だと言うようなもので、愚案ということすら愚かなほどの案であったが、この場合の劉邦は浮かれてしまっていた。この男を招き寄せ、
「?生そうせい」
と、うれしそうに叫んだ。名ではなく、?そうは小魚、つまりちび・・公よ、というとっさのあだなである。その案を貰おう、ただし人に洩もらすなよ、と言った。洩らすとたいていの者が反対するだろうし、それ以上に恥ずかしくもある。その程度の理性はむろん劉邦にはあったが、もうこの時期は酔ったような気分になっていたこともたしかであった。
劉邦はすぐさま一将を呼び、函谷関を閉じさせるべく急派した。 |
20200410 |
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