項伯が二十キロを駈けて鴻門こうもんの本営へ戻ってときはすでに夜が更ふ項羽こううはすでに眠っていた。
項伯は近侍の者に頼み、無理矢理に起こさせた。項羽は目をさましたが、体には眠りがつづいていて、機嫌が悪かった。
「たれが、何の用だ」
と、どなったが、相手が項伯であるときくと沈黙して、やがて起き上がって衣服を着がえた。項羽は粗暴とされているが、血族の長者に対しては別人のように行儀がよかった。この点あわれなほどに良家のしつけの名残を思わせた。
項伯は帳外にある。寒気で凍った顔をしばらくこすってから帳内に入り、次いでおい・・の寝所に入った。まずいきさつを話し、劉邦りゅうほうの言葉を伝えた。
「おじ上は、劉邦に会われたのですか」
項羽は、おどろいた。が、おじ・・の行動についてはすこしの批判もしなかった。
項羽は、この単純で行動的なおじ・・が好きだったし、またおじが持っている倫理観も、自分の気質のある部分に強く響くものがあって気に入っていた。項羽のこういう気性の小気味よさは、劉邦には無かった。しかしいかに項羽でもこのおじに高等政略をやってもらおうとは思っていなかった。
「おじ上、もう決まってしまった事です」
総攻撃について、項羽は不機嫌な声でそう言った。夜中、こんな話を聞くだけでも、范増はんぞうは怒るのではないか。
「誤りは、どういう場合でも正ただすべきです」
項伯は、倫理に関してしか言わない。
「私は誤っているでしょうか」
と、項羽はいよいよ不機嫌な顔をした。
「誤っておられます。よくお聞きあれ。span>沛はい公がいち早く関かん中に入ったればこそわれわれはやすやすとこの秦しんの故地に入ることが出来たのです。劉邦に邪心は無く、大功のみがあります。それを撃つというのは、義に背そむきましょう」
「義に ──?」
項羽の顔におどろきがはじけた。義というのは後の世で倫理項目に入るのだが、この時代では生きて跳ね返るような新鮮な感覚語で、項羽のように市井しせいの無頼の暮らしを送って来た人間にとって、平素義に反することもやっていながら、面と向かって義に背くと言われると思考の数式を最初に戻してしまうほどの力を持っていた。ましてこの種の感覚の中で生きて来た項伯が言うのである。
項羽は戸惑っただけに、いよいよ不機嫌になってきて、
「では、おじ上は、どうせよとおっしゃるのです」
と、言った。項伯が、答えた。あす劉邦がやって来る、そに言い分をまず聞いてやってもらえまいか、それだけのことです、と言うと、項羽は救われたように、
「そうしましょう、戦いくさはいつでも出来ることだ」
項羽は、そういうぐあいの男だった。彼にとって、気分のいい景色が次々に前方に展ひらけてくればいいだけとさえいえる。項羽にとって、不愉快な気色、あるいは彼の想念になんの気色も映じて来ないという話し方、または話の内容ほど嫌いなものはなかった。
項羽は、すぐさま范増を呼んだ。項伯が去るのと范増が入って来るのと、ちょうど入れ違いだった。范増は、嫌な予感がした。
「亜父あぼ」
項羽は、めずらしく微笑して呼んだ。
かつて居巣きょそうの町で時勢についての評論ばかりしていたこの七十の老爺を、項羽は死んだ叔父項梁こうりょうからひきついで使っていたが、項羽とは思考の系列が違うため、当初、この男の言う事が小うるさくていやだった。しかしその後、范増の計略がことごとく中あたるのに驚き、自分の唯一の参謀として尊重し、ついには父に亜つぐ者、という敬称まで項羽は用いるようになっている。血族秩序というものが倫理体系の基本であるというのは、この大陸ではその後にやって来る儒教時代以前からすでにそうであった。このため交友のもっとも強烈なかたちを義兄弟とよび、また長者に対する最高の敬意を込めた呼びかたを亜父と称した。もっとも亜父という言葉自体は、項羽が范増を呼んだ場合以外に、あまり見当たらない。
(こういう士義になってしまった)
項羽は、項伯がやって来た一件を告げた。
(やはり亜父などと言いつつも、実のおじの言葉のほうを重く用いるのか)
と、范増は思ったが、しかし項羽の性格について誰よりも明るいこの老人は、別の見方も持っていた。項羽がときに閃光せんこうのように方針を変えることがある。その動機は公理的な計算によるものではなく、項羽自身が感ずる美的な衝動によりものであるということだった。
たとえばかつてあれほど項羽を苦しめた秦の章邯しょうかん将軍が、ひとたび剣を脱して項羽の前に身を投げ、降こうを乞うと、項羽の中から多量の愛情が溢れ出てしまった。その生命の安全を保証するばかりか、章邯自身がとまどうほどに優遇してしまう。そのくせ章邯の旧部下二十万の場合、項羽は楚そ軍に不満を持つと聞いただけで、もっとも残忍は方法で大量虐殺ぎゃくさつしてしまうのである。項羽にも、愛情や惻隠そくいんの情があった。むしろひとよりもその量は多量であった。しかしそれは項羽自身が対象を美 ── あわれ ── と感じねば、蓋ふたをとざしたように流露しなかった。項羽自身が美と感ずるのは、日の洩れる戸板の隙間ほどに幅が狭かった。彼自身の自尊心が十分に昂揚できる条件下において相手がひとすじに項羽の慈悲にすがろうとしている場合のみであった。といって、この男は愚者ではなかった。ひとの阿諛おべっかには動かなかったから、この間の項羽の性格の機微はまことに微妙というほかない。
「おっしゃることは、わかっています」
范増は、わざと頷いてやった。
「ただ大王だいおうの」
と、范増は── 他の者もそうだが ── そういう敬称を用いている。
「将器が大きすぎて、劉邦の本質がお目の中に入らぬというのが私の憾うらみです」
たしかに項羽は、劉邦への評価が小さく、いくさに弱い臆病者という程度でしか見ていない。将器が大きいと范増が言ったのは多少の修辞でもある。自尊心が強すぎる者は他人がよく見えない。という程度のことを、范増はそのように言ったに過ぎない。范増はむしろ劉邦の方をおそるべき者と見ているという事はすでに述べた。それ以上に、劉邦と言いう男の幸運さが異常だと思っていた。王は天授のものだと信じているこの大陸の形而けいじ上学では、この種の幸運は天の作用だとされている。范増も劉邦に対し、気味の悪い予感であったが、それを感じていた。
── だから殺すべきだ。
と范増は思うし、この場になっても、別な表現で項羽に説いた。幸い、この陣営に劉邦がやって来る。剣士を伏せておき、機を見て誅殺ちゅうさつし、
「── 禍根を」
と、范増はそこに劉邦のやわらかい咽喉のどがあり、ここに剣があるように、
「断つべきです」
と、言い切った。
項羽は、うなずかざるを得なかった。
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2020/04/13 |
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